八朔の雪 高田郁 ハルキ文庫

八朔の雪 高田郁 ハルキ文庫

みをつくし料理帖

 

弁護士試験合格率トップという中央大学の法学部出身だと言う

著者は秀才なのだろうが

どうやら幅の広い好奇心を持った人らしい

漫画家であり小説家である上に

多分料理人でもあって歴史も大好きな研究家なのだろう
江戸時代の庶民生活は宝の宝庫である

 

二人の少女の数奇な運命と生き様を描いた人情物語である
文章も清流が流れるようにキレイで言葉豊富であるけれど

読み進む内の少々作りすぎている気もしてくる
それでも

江戸の風情や暮らし振りが絵になって見えるようで実に愉しい

 

読みながらよだれのでた人に向けて

巻末には「澪の料理帳」という献立付きである

 

10冊の連載という長編読み切り小説になっている

赤松小三郎ともう一つの明治維新 関良基 作品社

赤松小三郎ともう一つの明治維新 関良基 作品社

テロの葬られた立憲主義の夢

 

かつて私自身が自分にはない吉田松陰生き様に
疑問を持ちながらも惹かれるものがあった
しかしこれを読んで目からウロコで
何に疑問を持ち何に惹かれていたのかを具体的に理解し

歴史認識を新たにした

環境学者である著者が2016年暮れに出版した

常識的に言えば著者はお門違いとも言える明治憲法に関わり

長州の吉田松陰一派のテロで慶応3年に闇討ちによって葬られた

赤松小三郎の手による理想論とも言える民主的憲法について
今現在の政治に危機を感じて急遽まとめたものである


赤松の顕した憲法
慶応3年=1867年5月

全国民に参政権を与える議会の開設と法の下の平等と個性の尊重など

現行憲法につらなる憲法構想を提案し
その実現のために《御改正口上書》と言う建白書を

徳川政権の松平春獄と越前と薩摩の島津久光に対して

少なくとも三通したためているとある

 

民主主義とは流れ変わる世論に迎合するものではなく

国民が私欲に迷わず道理をわきまえた議員を選出し

その議員が公の議会で公的な政策を練り上げ

行政が執行していくことであり「興論政治」の実現であるとし

赤松は貴族が自らの無能を自覚しないままに世襲して

権力を得た者達の専横が諸外国の亡国の原因だと断罪していた

 

又京都では薩摩藩邸で塾を開くとともに私塾も開き

大垣・肥後・鳥取などからの門人に講義していた

それに対し権力欲を本音とする大久保利通などは

危機感を感じていたようで後々の暗殺へとつながる

 

平和的大政奉還論と国民議会構想を持つ西郷を

内戦へと武力発起を焚き付けたのは

グラバーの武器商人とつながる英国の外交官であった

アーネスト・サトウだという

このことでニホンの国民が不幸だったのは

薩長が利己的になって列島を二分し仲間割れを起こし

戦争することで英国から武器を買った上に

傀儡政権という漁夫の利を熨斗を付けて与えてしまったことなのだ

会津山本覚馬も薩摩の牢獄に繋がれる中で「管見」と言う意見書を書いた

そこには議会政治・三権分立・学校の建設・殖産興業・通貨改革・

太陽暦への転換・長子相続から均分相続への移行・製鉄業や醸造業などの復興がある

 

権力に擦り寄り立憲主義者から宗旨変えして初代東大総長となった加藤弘之

徳川から薩長へと権力に迎合し続けた西周は山縣有弘のブレートとなる

テロによって権力を手にしテロによって滅びた伊藤博文

人斬りテロリストであった高杉晋作

天皇崇拝者としての神国思想と民族排外主義であった吉田松陰

何故か近代日本の立役者として左右両派から評価されている

吉田松陰の門人であり多くのテロによって時代を動かしていた品川弥二郎

赤松の門人でありながら赤松の暗殺に関わるが後に後悔する

議会制民主主義を目指した薩摩と土佐による薩土盟約を保護にして

サトウの入れ知恵で薩長同名に転向したゆらぎの西郷隆盛

 

赤松の一番弟子であり薩摩の塾長として赤松を講師として招請した野津道貫

東郷平八郎と上村彦之丞はロシヤ艦隊に勝利した立役者で

赤松の門人であり赤松を尊敬していた

 

成りたい自分と成っている自分 170908

成りたい自分と成っている自分 
170908
 
今過ぎ去ったばかりの過去を基準にして考えるのは
具象的でとても簡単だから
つい今を通り越して屁っ放り腰に
成りたい自分を夢見てしまい
成りたいと思っている過去の現状に甘んじることになる
 
厳密に今現在という抽象的なゼロ点に立つ自分を
基準にして見れば全てが視野の中に飛び込んでくる
当然今成っている自分がそこに居る筈だから
イメージどころか実感を持っていることが
当たり前の状態なのだ
 
多分無垢の赤子はその無限環境にいるからこそ
善悪も損得も掛け引きもなく自分そのものを
普通のこととして表現する
 
そこでは外目線の社会的価値観に照らし合わせた
媚も照れも恥も優越感も劣等感も選民意識も必要ない
美しいとはこの無垢な姿で解放された視野の広い意識に
反応している感性のことなのだろう
 

ねずみ男と菩薩心 170917

ねずみ男と菩薩心 170917
 
体験による反面教師に学んで内から芽吹く悟りと
机上の空論で夢見た思い込みには
土台のつくりにおける大きな違いがある
 
それは北風と太陽によるアメとムチの外圧が来た時に
もろくも嬉々として時の権力に目ざとく迎合していく
外目線の知識人間と
シナヤカに受け流しながら飛躍的に
内面の成長を遂げていく根を張った柳のように
芯のある意識の違いである
 
物事の中心となる真理を目指すか
社会的な組織力である見掛けの力こぶに惹かれて
花から花へと華やいだ匂いにつられ
競争原理に呑み込まれて光と影のハザマを
さまよい歩くか
 
小手先の手段たるべきものを安易に目的化してしまうか
手の届きそうもないより大きな目的を目指すことか
このどちらが心を満たすのだろうか
これは男目線から父性性へ女目線から母性性へと飛躍する
視野の広さであり意識への気付きによるものなのだろう
 
言ってみれば孫悟空三蔵法師の関係や
ファウスト博士とメフィストに見ることのできる
愚かなれど手を伸ばして天空に触れようとする
無防備で勇気ある無垢な心こそが自らを開放する
ということなのかもしれない
 

鎖国の意味 170916

鎖国の意味 170916
 
新世界秩序を推し進めている国際金融支配組織を目論む
物質至上主義に閉じ籠もる者達と
同じ土俵に登らない事を宣言したのが
独自の精神的自律を重んじる《鎖国政策》である
これは後のアメリカンドリームに浮かれた
モンロー主義とも違う自主独立を守る防衛策だったのである
 
一見丸腰の宣教師という一神教イエズス会
トロイの木馬とする物欲と血に飢えたグローバリストたちと
一線を画しながらも
その暴力的侵略に対処するべく情報収集していたのが
信長以来明治まで続く300年を持ち堪えた徳川政府である
 
黒船前後でココゾと物欲に走った長州が
英米の手先となって薩摩を取り込み尊皇攘夷を建前に
開国することで無血による大政奉還を目指す土佐と縁を切り
アメリカの南北戦争で余った武器を買い込み
武力で新政府を独占せんが為に傀儡政府を独り占めしたのが
維新の名を借りた軍国独裁国家である
 
義務教育で政府に都合よく書き換えた日本史によって
神武天皇始め都合の悪い事実をことごとく葬ったのである
そこには現日本国憲法に勝るとも劣らないほどの
立憲主義を唱えて徳川政府を始め薩摩・越前に建白し
内戦を避けた開国を目指して奔走して
利己的な専制支配を目論む大久保利通西郷隆盛に恐れられ
暗殺された上田藩士の赤松小三郎や
会津山本覚馬や土佐の山内容堂や長州の佐久間象山の実像は
消し去られたのである

天孫皇統になりすましたユダヤ十支族 落合莞爾 成甲書房

天孫皇統になりすましたユダヤ十支族 

落合莞爾 成甲書房

天皇渡来人説を全面否定

 

聴者は経営投資コンサルタントを業務とする傍らで

建前の歴史の裏で本音の歴史に何がおきてきたかの闇に取り組み

大陸から見れな東の外れにある列島で
縄文人と様々な渡来人との融合と掛け引きが起こり

天皇が列島を支配し南北朝をへて明治から
江戸の表天皇と京都の裏天皇によるユダヤ金融支配勢力と
金塊をめぐる十支族と世界に散った残りの二支族との
封印された歴史が今に続いているらしい

アメリカによる占領政策もこのNWOの争いに関わるものらしい
何もグローバリズムは今に始まったことでなく
余剰生産物に依存する搾取と支配が始まったときからのことであり
大航海時代にその大転換が起こったのである


いずれにしても過去の利権を奪い合い血で血を洗う
物的強欲に目の眩んだ情けない次元の話であるが
これこそが反面教師となって抽象的な無限の真理に迫る
唯一の道なのだと私は確信している

◎完璧な民主主義は神の領域 170914

◎完璧な民主主義は神の領域 
170914
 
そこに集う全ての人が調和の意味を悟り
嘘も秘密も法律もない信頼によるお互いの
自由自在と対等性を要とする環境を
実践している関係を
完成された民主主義と呼ぶのだろう
 
それは全員がこの宇宙の真理を悟った
神となることを意味しているのであって
不可能だとも言えるし
常に目的としてのみ存在し得る建前であるとも言えるし
貴族社会のギリシャのように
奴隷制度の上でのみ実験可能となるパラドキシカルな
矛盾を伴う社会であるとも言えそうである
 
だとすれば今後人類がAIとロボットを手に入れた環境で
再現できる貴族社会においてのみ
理想的な民主主義社会を目指して
描いて行くことができるのかもしれない
 
こうしてみると過去と未来に執着する
余剰生産物を求めなかった
今と言う現在の選択を中心とする
狩猟採集社会においてこそ
食物連鎖と棲み分けを受け入れたナチュラルな
個の自律と集う全体の調和を可能にする民主主義が
成り立っていたのかもしれない
 
全ての人が参加して信頼関係にあるということは
搾取する支配者がいない状態でなければならないわけで
掛け引きの道具である言葉を乗り越え
以心伝心たるテレパシーの解放無くして得られない
 
《市民による市民のための市民の政治》を履き違えて
手段でしか無い経済を目的にスリカエている近代社会は
民主主義を建前に競争原理による理不尽な暴力政治で
お互いを痛めつけ合うという愚かな共食いに
知識と知恵を注ぎ込んでいる迷子にほかならない