相手の反応に自分を見る 180531
相手の反応に自分を見る 180531
集うカガミがないと
自分本意の《つもり》が巾を利かせ出し
崩れている自分を見落としてしまう
相手が変われば見え方も違うから
多角的な自分を知ることができる
一人で暮らしていると
つもりと実態のズレが大きく
だらしなくなっていることにも気付けず
ご機嫌で知らぬが仏をしていることになる
集うことで自分を磨きだすのと
一人仙人になって無と空を相手に
修行するのとではまるで違う
気付きと発見に出合うことになるのだろう