政治としての茶と美意識 150916

政治としての茶と美意識 150916
 
集うということには自ずと政治を含む
茶は全てを意味する人生であり
美しく集うことを目指す姿勢を
永遠に追求していくものだ
無限を視野に入れた茶には答えがない
 
そこには結果でなくプロセスがあるのみ
人生は部分と全体が織りなす常の変化であり
心に宿る意識の成長である
その成長は意識の膨らみであり視野の広がりである
 
知識は選んだ出合いで拾ったままの原石である
それを自分流に磨き出して息を吹き込み
意識に育て上げてこそ自主的な意味を持った
一個の生命としての光と動きを伴う
 
茶は完璧で静かな絶対の一成る神を意味しない
茶は相対することで発生する無限の時空間で
出合う自分と相手による終わることのない調和の
冒険と発見の旅を創り続けていくことである
 
家元制度のお茶は思想としての茶と対極にあるもので
姿形を持ち答えを用意していることで依存心が起こり
対立が始まり競争心と権利意識による強欲が絡まる
 
この違いを混同してしまうと
本来の茶の意味をそこねて本末転倒が起こり
肝心の意識と視野の重要性に伴う自主的な
お互いの対等性と自在性を忘れて血にまみれ
相手を取り込むことに夢中になり
この世に有限的物欲で囚われた過去を持ち込み
無限に湧き出す筈の時空を所有することに限定して
奪い合う地獄に堕ちてしまうことになる