ダーウィンを超えて  今西錦司 中央公論

 
腹の座った読んで愉しい本である
 
生物の環境は相互適応しながら
全体論的ホーリスティックな見方をせずに
局部的な判断をすると暴力的な迷路に入り込んでしまう
行き当たりばったりの突然変異や
その場その場の勝ち残りを賭けた個体同士の生存競争や
自然選択に任せる適者生存・自然淘汰・・
 
自己同一性を保ちつつ自己完結的に変化する
部分的に見れば自然界は混沌としているが
全体的に見れば秩序だっている
 
進化は種によって方向性を伴って起ることで
システムとして成り立つが
個々のランダムな変化で一定の進化をすることはありえない
 
今西進化論はセオリーの前提として事実を見つめ
別々に思考することから始まり
個別からでなく「種」社会をベースとして進化を見る
このことによってダーウィン進化論を超え
全ての進化はお互いの関係によって
在るべくしてあるのだという姿勢をとることで
言語に文化に文明に統治と
社会の成り立ち全てを語るものといえるだろう
 
ダーウィンニズムの視野の狭さからなる
資本主義的決めつけを
俯瞰することで得る全体観からなる包容力で競争原理を解放し
棲み分け論による自然界を展開する
 
 
腹の座った読んで愉しい本である
 
生物の環境は相互適応しながら
全体論的ホーリスティックな見方をせずに
局部的な判断をすると暴力的な迷路に入り込んでしまう
行き当たりばったりの突然変異や
その場その場の勝ち残りを賭けた個体同士の生存競争や
自然選択に任せる適者生存・自然淘汰・・
 
自己同一性を保ちつつ自己完結的に変化する
部分的に見れば自然界は混沌としているが
全体的に見れば秩序だっている
 
進化は種によって方向性を伴って起ることで
システムとして成り立つが
個々のランダムな変化で一定の進化をすることはありえない
 
今西進化論はセオリーの前提として事実を見つめ
別々に思考することから始まり
個別からでなく「種」社会をベースとして進化を見る
このことによってダーウィン進化論を超え
全ての進化はお互いの関係によって
在るべくしてあるのだという姿勢をとることで
言語に文化に文明に統治と
社会の成り立ち全てを語るものといえるだろう
 
ダーウィンニズムの視野の狭さからなる
資本主義的決めつけを
俯瞰することで得る全体観からなる包容力で競争原理を解放し
棲み分け論による自然界を展開する