宗教を生みだす本能 ニコラス NTT出版

宗教を生みだす本能 ニコラス NTT出版
 
題名を直訳すれば
=信仰の本能〜宗教はどう進化し何故生き続けるのか=
宗教と信仰ではまるで意味が違うと思うのだけれども?
宗教は社会的組織をイメージさせるし
信仰は個人的な依存心による心情を思わせる
 
更に本能とはそのモノが持つ目的に関することなのか
目的へと向かう手段でありその道具なのだろうか
 
もしも本能が人生の目的を示すものであるならば
宗教がその目的へ向かう本能の範疇であり得ないだろう
何故なら宗教とは縄張りをつくる排他的な組織のことであり
相対するあなたと私を対等な関係ととらえられずに
外と内として意識した不安恐怖から逃げ込む依存先であるから
流れ続ける時空間に暮らす私達の目的へのプロセスから
脇道の迷路に外れた澱みといえるだろう
 
もしも本能が手段であるならばその目的がなければならない
つまり人生の目的が何かということになるけれども
宗教に依存するということは
本来の目的であろう今と向き合う冒険への不安を感じ
そこから逃れることを目的としてすり替えた擬似人生を
目指すことなのだろう
 
知識という部分に目の眩んだ不安恐怖を生み出す部分性を
逃れるために宗教組織を有効な結束力として
相手と対立し敵として搾取の対象とする手段に活用することになる
 
この本をどう読み解いてみても無理があり
全体観を見失ったものとしか見えてこない
大事なのは組織ではなく集うという手段が目指すべき目的だろう
それは個々の意識の成長であり個性という歪みを持ったお互いが
切磋琢磨して分け合う中で出合いの冒険と発見を愉しむことであり
個々としての全体であると同時に大自然の部分でもあるお互いの
全体を見据えた信頼感と調和の関係だろう
 
生命維持の道具でしかない遺伝子万能論は危険だ
依存心による無い物ねだりの信仰とお互いの対等性からなる
理解と信頼の違いに気付くべきだ