タネをまく縄文人 古畑弘己 吉川弘文館

最新科学が覆す農耕の起源

 

圧痕法ともレプリカ法ともいわれる技術による

新たな発見と証明がもたらした最新情報

これもいつ覆されるかわからないが

より事実に近づいている事は確かなのだろう

 

土器を作る過程でタネや昆虫などが粘土に紛れ込んだ痕跡を

暴き出すことによって当時をより具体的に偲ぶ方法である

 

この発見によると

道具としての植物の栽培開始が後期旧石器時代1万6千年以前に

ヒョウタンを容器として栽培した可能性大

 

食用としての植物の栽培開始が縄文創世記~早期1万6千年~7500年前

アサ・エゴマ・ヒエ・アブラナ科

繊維用や油脂を含む 

 

マメ類・ウルシの栽培開始が縄文前期7300年~5500年前

長期貯蔵可能なデンプン源であるアズキ・ダイズが主食として栽培

更にゴボウが加わる

集落の定住と人口増加 中部高地や西関東を中心に

 

栽培が全国に拡散縄文後期~晩期5500~2860

コナラ・サンショウ・

昆虫のコクゾウムシ

クリの管理栽培で列島内における植物の栽培が出揃う

 

大陸系穀物流入縄文晩期2860~2800

九州においてもアワ・キビ・イネが伝来した可能性大

大規模な人間の移動が伴うものではない

小規模なコロニー的な集落で始まる

 

水稲耕作の到来が弥生早期以降2800年以降

土器などの胴突や文化を複合する形で大きな集団の移動を伴う

モモ・ウメなどの樹木も到来

 

アズキとダイズは原産によるものらしい

 

コクゾウムシなどが人間による穀物の栽培と定住によって

飛ばなく成るなどの変化をきたす事の発見によって

当時をより詳しく偲ぶことを可能にした

又植物が栽培される事によって双方にとって有利な状態へ進化し
タネを大きくするなどの変化を起こす
またそのことから栽培を裏付けることも可能になった

◎しっかり汚した手をキレイに 170513

◎しっかり汚した手をキレイに 170513
 
出合いをつくって愉しくまみれて遊び
転んでは気付きを得て噛み砕いて確かめ
気が済んだら一息ついて
辺りを片付け身繕いをして手を洗う
手と目と耳と鼻と口と頭と心を使った後は
次の出合いをフルに活かすために祓い清める
 
新しいことに挑戦するごとに
出合ったあなたの全ての言葉を聞き取れるように
いつだってこの七つをクリアーにしてから
まっすぐ向き合って手を握る
 
そのとき今が始めるチャンスだと気付いていたい
手の届く限りに心を開いて
感じる限りに真心を受け止めて切磋琢磨し合う
余計なことは片付けて自分の本心だけを
静かに伝えて行く調和の関係を大事にしたいと思う
 
死ぬ時だっていつもと同じように前を向いて
きれいな手にしてからしなやかにさり気なく
旅に出たいものだよと
朝顔を洗うように独り言で自分に語り掛け
さあはじめよう

生き甲斐 170513

生き甲斐 170513
 
生命体が日々を生きる行為に励むのは
何に突き動かされてのことなのだろうか
死ぬことへの恐怖なのか
破壊することへの衝動なのか
それとも生産することへの期待と喜びなのか
 
生まれながらに背負う目的を持った意識を司る右脳の存在に
手段である肉体を牽引する左脳が導かれているのか
 
生きる目的とは何なのだろう
やり甲斐というモチベーションは具象的で
終わりの見え透いた手段でしかなさそうだし
生き甲斐も同じ意味であろう
 
だとすれば人生の目的は
永遠のナゾを紐解く抽象的な人生を目指すことで
未知なる未来に気付き発見をたのしむために今の出会いを選び
その一瞬一瞬の冒険と発見を重ねる日々を喜びとすることか
 
この永遠のナゾとは自分自身の存在であり
あなたと私が棲む相対性宇宙に秘められた
部分性と全体性の関係を解明することなのか
 

◎神と出会ったと言う人 170512

◎神と出会ったと言う人 170512
 
一成神に選ばれたとモーゼは言う
ほかにも沢山の出会いが搾取と支配の宗教を生み出してきた
しかし選民思考は思い込みと依存による自己満足でないのか
その対面したという相手が神だと何を以って言い切れるのか
 
超能力を現すならば悪魔で在ってもおかしくないし
むしろ完璧でない奇跡や霊験や魔法という
姿形の矛盾に納得も行くが
それを一成る神だと公言するとなると
もはやそこに完璧は崩れ対等性も自在性もなくなる
調和の可能性も否定してしまう結果になる
 
上には上・下には下・先には先と限りなく続くのが
未完成であるが故の過程と言う完成品であるこの世の所以だ
行き止まりの答えでしかない結果に遭遇してしまえば
全てが水の泡と消え去りこの世の終わりでしかない筈
 
あなたと私は相対関係の中で全体を模索する部分同士であり
そこには上下も前後も左右すらないはず
あなたも私もただ観察者であると同時に
観察されて切磋琢磨し合う冒険家であり続ける筈
一瞬一瞬の悟りにすら完全も終わりもないプロセスのはず
 

神道」の虚像と実像 井上寛司 講談社

 

神道はその昔中国から輸入した言葉であって

「じんどう」とか「しんどう」と発音されていたのが

当時のヤシロ・ミャ・モリ・ホコラなどの縄文アミニズムから

天皇支配の古代律令制度による神社となることとならんで

天武天皇の名において民衆の心を一つに結ぶため

古事記が作られ日本書紀を独立国として諸外国に顕した

それ以後神道は「しんとう」と名を改めて

仏教儒教と絡みながら

明治維新までの国家を支える使命をもつことになった

 

正確を期すならば神社は7世紀後半に天皇による中央政府により

官舎と呼ばれて全国を治める神殿を持った宗教施設である

しかしヤマト政権によってこの神社に先立つこと7世紀の初めに

伊勢神宮鹿島神宮や出雲神宮などが成立している

更には地域の豪族によるカミ祭りがあり

これらの全てを統一しようとしたのが官舎としての神社であるが

それには時間がかかったということである

 

日本列島は一世紀ごろから階級社会の発生が起こり

三世紀の邪馬台国で国家としての組織が形をなしていく

更に古墳時代を通して国家形成が推し進められた

その当時

中国大陸の随や唐の成熟した帝国が周辺の東アジアに影響を及ぼしていた

日本も律=刑法と令=行政法を中国から導入するに伴い

中国の皇帝と異なる天皇を導入したのである

 

従って天皇という称号は天武から始まるもので

それ以前の推古天皇などは「推古大王」と区別して呼ばなければならない

皇帝が律令制度の頂点にあるのに対して

天皇律令制を超越する存在として位置づけられていた

天皇は法に権威を与える現人神という立場にあり

行政権に司法権に祭祀権を統括するものとして日本の統一を図り

ある意味傀儡である象徴としての天皇を置くことで

中国の唐と肩を並べる体制を目論んだ

このために国内に士農工商穢多非人的な支配体制の仕組を浸透させ

その他中国を除く近隣諸国を野蛮な地域として蔑んだのである

 

儒教道教仏教のうち儒教は宗教としてではなく

役人層の教養あるいは民衆の道徳として導入され儒学として重視された

具象的な力関係を生み出す現世中心の儒教道教を超えた

抽象的で壮大な宇宙観による仏教のみが組織の安定に利用され

体系的に律令政治と関わることになる

ここで日本独自の存在として仏教の壮大な教義と絡めながら神仏習合を描き

地域の豪族をテリトリー内に引き込むために現されたのが神社組織なのだ

国譲りを盛り込んだ歴史を洗脳することで事実を有耶無耶にして隠蔽することに

成功したと言えるのだろう

 

五斗米道 太平道

 

インド中国日本という三国世界観からなる神国日本は

11世紀末の最澄による顕密仏教によって再編成され

天神七代地神五代人王の神武以下歴代天皇という歴史観に改められた

更にはキリスト教という一神教を持ち込んだヨーロッパ文明との出合いが

三国世界観を破壊して神儒仏一致による鎖国制度の中で緒宗教と幕藩体制

結びつきが強化され儒学を盛り込んだ神道へと変化していく

そんな中でも吉田兼倶の力に揺らぐことはなかった

 

明治になって宗教という言葉が翻訳語として生まれ進化論の伝来と共に

宗教と科学の対立が起こり宗教は合理性に富んだ倫理や哲学という学問の

下積みに追いやられる

政府の見解では神仏分離と言い「神社は国家の宗祀であり宗教でない」と言うが

国民は依然として信仰対象としていたこともあって無宗教的な融通無碍な多神教

呈しているのも強権的な国家神道推進によってもたらされたという

 

日清日露戦争がもたらしたイデオロギー

日本は先進資本主義列強の仲間入りを果たしアジアで唯一の植民地を持つ

帝国国家となりその教育制度によって国家神道も影響を受けて

国家による保護が弱まり経営が成り立たなくなる

そこで神社は国の主張である「神社は国家の宗祀であり宗教でない」を逆手に取り

民衆の拠り所である立場を捨てて国家による保護を主張したのである

天皇の意向による日清日露で生まれた膨大な戦死者を公的に鎮魂するために

陸軍省が中心となる靖国神社の前身である東京招魂社に合祀されることになった

靖国神社への改名と共に天皇の命令で死んだ者を英霊たちの偉業を讃える場とし

植民地獲得を目指す帝国主義の戦争を美化し正当化して国民を追い込む機関として

重要な役割を担ったって来たのである

一般から召集されて死んだ兵隊が眠る国立千鳥ケ淵戦没者墓苑をさておいて

戦争を運営してきた戦犯を祀る靖国神社を日本軍国主義の象徴だとする所以である

 

国家神道の変質

鎖国というモンロー主義とも言えそうな状態から豹変して侵略国家となった日本は

実にご都合主義で視野の狭いが故の利己的に陥ったバカな存在だといえるだろう

しかも国民もろともに世界中を巻き込む盲目的地獄を作り出すという

罪を犯したことを負の体験として深く反省し積極的に世界に呼びかけ

調和の道を模索しなければならない立場にある筈である

国家権力の被害者であった国民が結果的に加害者に追い立てられてしまうという

愚かで理不尽な体験を有効にして未来を創造しなければ

生命体として産まれた意味を成さず犬死を繰り返すだけとなってしまうのである

 

侵略とは物質的なモノに限らずその前提として主体である個々の心を

個々の選択を支えるための手段でしかないはずの組織体がひるがえって

主たる個々を侵略するという二重構造であることを理解する必要がある

それは主たる自らを維持する自主性を放棄した個々に問題があるのであって

自主性を持ち得ない道具や手段に責任を添加しても解決どころか

空回りのナンセンスで始まらないのである

 

王道 170509

王道 170509
 
あなたは裸の王様になることを選びますか?
それとも自らに恥じることのない道を歩むか
あるいは権力に媚びて傀儡に溺れ
後ろ向きに依存して姑息に生き延びるか
前を向いて切磋琢磨する冒険をみんなで愉しむか
 
ここまで分析できれば考えるまでもなく
前向きに進むことで心身ともに
多様な好奇心で満たし
一人ひとりの幸福をそれぞれに補い合いながら
紡いでいく王道を選ぶしかないはず

出合いを選択するという解 170508

出合いを選択するという解 170508
 
全体観という方向性と
より部分であるディテールを絞り込む線が
交わる所にその場の解が発生する
 
俯瞰して全体観に偏ればドットが荒くなり
部分に執着すればするほど前後左右が見えなくなり
どちらに転んでも方向性を見失うか
交点を見失って迷子になる
 
全体観と部分感の両方を
同時にとらえられなければ正解を得ることはできない
この不可能を可能にするにはそれぞれの現場を
体験している部分と部分が自主的に集い
切磋琢磨することで相乗効果を得て
調和というバランス点である中心に近づき
無限を垣間見るしかない
 
人間を含む生命が産まれることの意味は
この解を積み重ねて無限という抽象的な全体を
具現化して見せることである