明治維新司馬史観という過ち 原田伊織✕森田健司 悟空出版

明治維新司馬史観という過ち
 原田伊織✕森田健司 悟空出版
 
目からウロコの新しく確かな情報が満載
本気の歴史家や作家はここまで調べ通して行くのだと感動
かつての友人を探し出すのでさえ簡単でないのに
何百年も前の関が原や会津などの動乱で
散り散りになった人間を追跡して
日記や手紙などの資料を見つけ出す気の遠く成るような作業
あるいは遡って生まれや育ちからその人となりを読み解く
 
その御蔭で知ることのできた人間味あふれる史実と出合え
更にそのスポットをつなげて平面的に俯瞰し立体的に理解する
その結果が今を判断して選択する要ともなる
過去は利権や権利として所有することなく
情報として今の選択に役立てるべきものであるのだから
独り占めせずに得たすべてを公開する必要がある
 
その上で手にした情報を持ち寄り切磋琢磨することで
それぞれの思いを紡ぎ出していくものである
 
坂本龍馬にしても「竜馬が行く」とさり気なく
字を変えているのであるが
世間ではこの物語が史実として独り歩きしてしまい
あるいは誰かの意図的に史実として塗り替えたのである
本物の龍馬は時代に翻弄された使い走りだったというのが
事実のようである
更に作られた人物像である勝海舟西郷隆盛伊藤博文
司馬史観とは別物の「事実は小説よりも奇なり」である
 
明治を美化している司馬さん自体が
「我々が持続してきた文化というのは弥生式時代に出発して
室町で開花し江戸期で固定し明治後崩壊し続け
昭和四十年前後にほぼ滅びた」と「街道を行く」の中にある
そして「ノモンハン事件」に関する日本一の資料を持ちながら
書かない理由として「あまりにも汚くて書けない」言ったという
 
小説はあくまでも読み物であって信ずるに足るものでないことを
肝に銘じるべきだと言うことである