競い争うスポーツから集いのスポーツへ 171013

競い争うスポーツから集いのスポーツへ 171013
 
過去に依存する物欲の資本主義から今に集中する意識の直接民主主義
商業主義の大イベントに成り下がったオリンピックは
かつて曲りなりにも世界中の民族が対等に集う祭典であった
そこではアマチュアスポーツマンシップを建前としていたけれど
ロスの大会以来真逆の競い争う本音を露骨に表面化させて
スポンサー付きの利益追求を目的とする切った張ったの
勝てば官軍負ければ賊軍となるプロスポーツの祭典に塗り替えられた
 
スポーツにも二つの道筋がある
一方はお互いにフェイントを掛けて相手の隙を突き合う競争原理に基づき
利権という結果に固執して勝ちを取り合う戦争ゲームであり
他方は信頼関係による調和を目指す切磋琢磨の原理に基づいて
過程である今と云う個性的な部分によって全体観を育て続けるゲームである
これらはあなたと私という相対関係で成り立つこの世の根本原理であって
すべての体験が無くてはならない二極の要素である
 
調和を目指す環境は切磋琢磨の原理を中心にして分け隔てなく集う場であり
技を磨きファインプレーを愉しむためにお互いを補い合うゲームをつくる
双方のギリギリのファインプレーを創造して相手の欲しい球を読み取り
どれだけ正確に送り届けられるかの自分に挑戦する醍醐味でもある
 
物欲の自由勝手を許し私達自身が手段を選ばずメダルの数に依存して
相手を蹴落とす競争原理に酔いしれた資本主義の搾取と支配欲から卒業し
信頼関係で成り立つ調和による民主性を求める意識主義の相乗効果を成して
切磋琢磨の原理を目指す時スポーツのありようがどのように変化しているか
それは嘘と秘密で相手を陥れる理不尽な自分を反面教師として気付きを得て
幸福という美を創造して行くことである
 
ローマでは支配者が身勝手に作るルールに縛られた暴力的なコロシアムで
剣闘士の殺し合いや犯罪者を猛獣に与えるなどの残酷ショーが行われ
観衆は食事をしながら朝昼晩の催しを熱狂して楽しんだそうだけれど
その延長線上にあるのが現在の利権者によるスポーツの祭典だと言えまいか