緑の資本論 中沢新一 集英社
漠然としていた現代社会を問題点を
全体観における集合意識と
部分感における摩擦による五感《モノ》をつなぐことで
見事に解き明かした素晴らしい思想である
911事件に遭遇することから開く意識の扉
商品を中心に据えた《資本論》を
一神教的に見直すと
新しい価値体系が現れるというこの本で
言わんとしていることは
最後の181ページからの「ものとの同盟」
特に201から204に凝縮している
新しい同盟は意識とモノとの間に結ばなければならない
・・・昔の人が霊力とも聖霊とも呼んだ非感覚的な
内包力などが混成系をなしながら複雑な
全体運動を行っているモノとの間に
人間は真実の同盟関係をつくり上げることが必要なのである
人間がこの同盟者の姿を見失ってすでに久しい
その間にモノは単なるオブジェとなり恩寵の増殖力に
ふくらんでいたその強度の場所は
数だけがおびただしく全てが影のような商品につくりかえられて
モノの「ふゆ」の過程を資本の増殖へと変貌してしまった
その結果かつては人間の世界に豊かなふくらみを与えていた
贈与の原理は世界の表面から消え去り
宗教と呼ばれた多くが資本の理論を別の形で
表現したものでしかない様々のカルトに変貌してしまった
・・モノは理性(コトワリ)の敵ではないし
ましてや精神に対立する物質性の体現者でもない
モノは瞑(くら)く光の中から生まれて物事に理性をもたらす
明るい光の世界に向かっていったかと思うと踵を返して
再び瞑い光の奥に引きこもっていこうとする・・・
モノにもピュシス(自然の真理)にも運命などというものはない
この同盟関係の樹立には技術が大きな意味を持つ
タマとモノとの微妙な差には内包空間の強さと技術が反映されている
モノは道具であり技術であり(手段であり)
それを利用して人間は内面の冒険を行い
伝統を通じて個人の内的体験を公的知識の集積体(集合意識)へと
成長させてきた
数万年に及ぶシャーマニズムの探求はより洗練された瞑想体験へと
受け継がれて今に至っている
大脳と神経組織の内部で起る量子論的に踏み込めるような技術を
開発してきた故に瞑い光の力能を持ち内部でどう活動しているかを
観察できるようになった
それは以外にも《無の神》(神は存在しない)という
ニーチェと同じ結果となった
宗教はモノとの同盟に向けて様々な実践を繰返し
それは個人の探求であったり共同の行為であったり伝承文化だったり
市民運動と呼ばれたりするだろう
この共通点は《非人格的なモノへの愛》である
ヒューマニズムの狭量を超えて資本の理論を凌駕して
広々としたモノの領域(意識)へと踏み込んでいくのである
そのとき宗教は死んで蘇るだろう
そのことを説いて来たのは宗教自身だったのだから