所有権と棲み分け意識 150410

所有権と棲み分け意識 150410
 
自分という範疇は何処からどこまでなのか?
あなたと私は何処で別れ何処でつながっているのか?
テリトリーは縄を張って旗を立てた所有という権利なのか
それとも棲み分けという借り物なのか
 
生きるための衣食住を権利だと主張する具体的な
根拠を示すのは困難どころか不可能だろうし
根拠という管理者も責任者もいないのだとすれば
限りのない自由勝手気ままな増殖によって
己の存在を示すナンセンスな奪い合いと共食い以外に
衣食住の確保ができなくなるだろう
 
あるいは命自体がこの世を旅するための借り物だとするならば
大自然という共通の全体観を管理者として
中心に据えることになる
 
全体観とは部分の相対に他ならず
全員参加の集合意識という形で表すことが出来るだろう
 
そこでは全てが誰のモノでもなく皆のモノで
部分部分の必要に応じたシナヤカな循環によって
融通を付け合う配分で永久運動として成り立つ筈だ
 
視野の狭い利己的な所有権ならば自らを使い果たしてしまい
自殺行為となるしかない
しかし距離感をわきまえた棲み分け意識によるならば
螺旋循環するトーラスな全体観における生命体であることで
持続可能な内需中心の有限を生み出すことによって
グローバルな無限を具象的に内なる心で
発見していくことができるだろう