まんが リア王 シェークスピア イースト・プレス

まんが リア王 シェークスピア イースト・プレス

 

原作が有名なわりには

本物が読まれていないような気がする

ダイジェスト版が沢山あるからだろうか?

このマンガも粗筋を理解できるくらいの内容だ

 

王様が馬鹿すぎるにもかかわらず

従者や末娘が無防備に敬愛しているのも不自然だし

愛と情の関係も描けていないし

道化の存在によるインパクトも薄れているし

最後の悟りの場面もお粗末だ

まんがジキル博士とハイド氏 スティーブンソン イースト・プレス

 

結構うまく原作をマンガとして写し取っている

物語の内容も皮肉交じりだけれど

過去を管理する知識の力を持ったが故の

人間が陥った過去と言う縄張りから覗く

狭い視野に惑わされ続けている実態を暴き出している

 

強欲からなる多重人格は

強欲をもたらした知識と余剰生産物によるもの

独り占めすることは一見暴利を貪る事ができるように見えるが

奪い返される不安恐怖を生み出し

切りのない妄想に追い立てられることになる

その上独り占めを達成すればするほど自分の城を取り巻く

環境を汚し自らを侵略し始めるという反作用を伴う

 

誠にもって愚かな行為である

秩序と混沌 180630

秩序と混沌 180630
 
無限という一体性に近づくほど
乳濁した混沌から弥が上にも秩序立つ
空という静寂の客観性が全てを支配する
なぜならそこは一成る絶対だからである
 
混沌の中で産まれる相対性時空間では
姿形を持った部分性の強い有機的なモノ程
秩序立ちながら個性的な主観性が支配する
摩擦によって表現される狭い環境となる
 
 
この姿形あるものが分解されて無機的に戻る程
分子から原子へと整理され色分けされていく
更に分解が進んで行くと秩序も無くなり
無色透明で無限性の混沌へと向かう
螺旋のような循環を作る

明け方のゆめ 180630

明け方のゆめ 180630
 
誕生日のソプライズパーティーか?
大掛かりなゲームが始まっている
多分私が主役〜?
真新しい博物館のように
沢山の人形や骨董やおもちゃや
見覚えのあるようなないような
愉しそうなものが所狭しと
テーブルにも床にも壁にも飾られている
ゲームはなぞなぞか?
振ってある番号が関係しているらしい
建物も夢の私にちなんだものなのか
ヒグマに追いかけられて逃げ惑うが
擬人化されたクマは着包みか
一つ一つにヒントが隠れているのか〜
そろばん玉の狭い階段を上り切ると
ついに最上階だ
答えは馬かもしれないな〜
 
こんなゲームを考えるのは中林さんぐらい
時間を超越して老若男女の懐かしい仲間が
次から次へと現れては消えていく
何かのメッセージがありそうなのだけれど
分からずじまいで目が覚めた
 

まんが昆虫記 原作:ファーブル イースト・プレス

まんが昆虫記 原作:ファーブル イースト・プレス

 

昆虫記のダイジェスト版と言うよりも

ファーブルの伝記である

これを読んでファーブルの人となりを知ることになり

とても面白かった

我が道を行く人はその苦労を苦労としない

ストレスに対する強さがあるのだろう

91歳は当時のヨーロッパとして長生きだったに違いない

 

墓に刻まれているという

《死は終わりでなくさらなる高貴な生への入口である》

からすると輪廻説だったのだろうか

権威や社会的価値感に侵されずに生きることは

精神力の強さを示している

 

素晴らしいマンガである

 

まんが 罪と罰 原作:ドストエフスキー イースト・プレス

まんが 罪と罰 原作:ドストエフスキー イースト・プレス

あの長編小説を190ページのマンガにドキュメント
それでも解りやすく筋書きと著者の思いが伝わるからすごい
悲劇なのに後味が良いのも読み手にとって幸福だ

マンガの長所として
名前のわかりにくいロシアの小説などは
顔でわかるのでとても読みやすい点だろう

原文で読めるわけでもないから
ある意味これでも十分だと言えるかも知れな

蒲団 田山花袋 イースト・プレス

蒲団 田山花袋 イースト・プレス

 

何とも暗い

まわり中を不幸にしていく愚かしいが

笑えない話

インテリーが陥る堂々巡りの中で

性的抑圧に翻弄される

ジメジメとした鬱陶しい物語である

こうした状態も

人生の通り道なのだろうと

妙な納得を得ながら読むことになる