部分と全体の関係 190515

部分と全体の関係 190515
 
部分とは
全体や無限を構成する一部分である一方で
ジグソーパズルのピースのように
全てのピースが二つと無い特有の個性を持った
一個の全体でもある
部分と全体は入れ子になって
無限の連鎖をつくるこの世のパラドックス
構成している
人間は自分の二面性の片方である部分性を
現状として全体を創造する存在なのだろう
この流れを成長のプロセスだとして
とらえることができれば
人間同士あるいは全ての存在を
お互いに肯定して棲み分け
弱肉強食でなく食物連鎖によって
信頼の中で切磋琢磨し合い
調和を目指せるはずだ
しかし有史以来の人間界は
知識と知恵を得たことで
全体的な意識をおろそかにして
縄張りという権利関係である
即物的な部分に閉じこもり
全体という無限性を無視している状態にある
抽象的な全体像を具象化して理解するために
このパラドックスを私たちは
反面教師に仕立てているのでは無いだろうか

対等と平等の違い 190515

対等と平等の違い 190515
対等と平等とは混同しやすいがそれぞれに別の意味をもつ
英語に訳そうと思えばequality or evenlyなど
平等の意味しか見つからない
 
対等は
すべての物が一つ一つ別々の個性を持ち
お互いに双方をありのまま認め合い
嘘と秘密で成り立つ競争原理に迷い込むことなく
調和を目指す信頼関係の中で切磋琢磨できる間柄のことである
 
平等は
全ての個々に対して同じ条件を押し付けることである
例えば二人の人間に
同じ労働や食事や休息や遊びなどを無理強いする理不尽な
暴力行為のことを言う

似たものに公平=impartiality という言葉もある

芸術師  190513

芸術師  190513
 
形ある過程として存在する人間には
無からの創造は不可能であるし
創造に固定的な姿を持たせる表現行為も
完成物とするのは驕りである
 
創造を形に表現したものを芸術と呼び
造形物やその出合いと理解はその内面に
抽象度を秘めるほど創造性が高まる
創造性こそが芸術の根幹であり
その出合いを演出する表現者を芸術家と呼ぶ
しかし多くの人の手を借りなければ
表現などできないのがこの世の現実である
 
過去の誰かの歌や文章や仕事から得た
感動や知識無しに創造はできないし
手段や道具となる原料も情報も労働も賄も
現象界から借り受けなければ
表現行為も伝達行為も不可能に違いない
 
だとすれば作者や演奏者とは何者なのか?
コンダクターか?マネージャーか?
それとも請負師か?手配師か?
ダビンチやゲーテプラトンやベートーベン
良寛や光悦や北斎や利休にしたところで
師であり
芸術家という価値観に便乗して名乗るのは
恥ずかしく
おこがましい話である
 
 

ヨーロッパ文化と日本文化 ルイス・フロイス 岩波文庫

 

ヨーロッパ文化と日本文化 (岩波文庫)

ヨーロッパ文化と日本文化 (岩波文庫)

 

 

ヨーロッパ文化と日本文化 
ルイス・フロイス 岩波文庫
 
スペインから派遣されたイエズス会の宣教師は
35年に渡り日本で暮らし長崎で他界した
その間日本を旅して
ヨーロッパとの暮らしの違いを仔細に観察し
様々な立場における振る舞いを記録し
イエズス会に送るスパイ役でもあったのだろう
武器から雑器にいたる工芸について
あるいは演劇から祭りや詩歌などの文化について
箇条書きで事細かく書き記しているが
部分的すぎて全体感を書いた部分も多い
しかし
多くの注釈付きで
私達の及ばない別の世界を見せてもくれる
貴重な記録である
 
あまりにも字が小さすぎて読みにくいので
ワイド版をおすすめする

生兵法は大怪我の元 190510

生兵法は大怪我の元 190510
 
なまじの
知識と文字の道具を持った人間は
知恵と唯物観に目が眩み
増長満となって競争原理に浸り
驕れる者久しからずを
有史以来学ぶこともなく金次第の地獄を
繰り返してきた愚かな生物である
 

大往生で良いのか?190510

大往生で良いのか?190510
 
摩擦界で学ぶ人生を全うするなら
平穏無事な大往生など望むべくもない
 
さりとて無意味に加熱し
狭い視野の唯物観に汚染された
暴力に溺れ続けるのも
無駄な逃避でしかなさそうだ
 
俯瞰した客観性の中で選択できれば
お互いの信頼で可能となる切磋琢磨にとって
摩擦を中和した環境で
活動しながらワープできる筈だ