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五感の落とし穴 170326

五感の落とし穴 170326
 
具象的にとらえる五感のわかり易さ
物事を固定的に測量できる共有性に
虜になってしまった人間の知識欲が
つくりだした言語は有限的で競争心を煽る
嘘と秘密を秘めた白黒五分五分の世界である
 
この有限界に迷い込んで行き場のなくなった人間は今
見ぬふりをして置き去りししてきたテレパシーの
駆け引きのない無限環境の信頼で
つながる場を必要としている
 
闇から解放されて自在となった意識上の五感と
向き合う摩擦上の五感の両面を切磋琢磨させることで
調和へと知識から意識への飛躍を目指して
飛び立つ時が迫っている
 
そのためには一人ひとりの準備が必要だし
それを誘うための意識を共有できる場を
つくらなければならない

愉しめている姿は美しい 170325

愉しめている姿は美しい 170325
 
この世の相対関係にある心と肉体
あるいは精神性と物質性のどちらへ意識が向いているかという
民度のバランスによって愉しく美しい生き方と
苦しく醜い生き方と生命力に欠けた影の薄い生き方とがある
 
美しいとは互いの関係に対する視野が広いことで
全体観に満ちた抽象性を深くするための俯瞰度を高く保った
中庸と言うゼロ点を目指し
出合いの選択と体験で得た知識を集合意識へと
どれだけ咀嚼して繋げられるかということである
 
無垢な赤ん坊や子供が可愛く美しいのは
競争心も嘘と秘密もなく命を保つために必要以上の物欲を持たず
意識を今の瞬間に集中し続けて
相対関係を過不足のない調和にあそび
未知の世界から逃げず
五感を集中してまっすぐに冒険を愉しんでいるからである
 

◎衣食住に体力と気力 170324

◎衣食住に体力と気力 170324
 
生命体がその目的を果たすために必要な手段となるのは
衣食住にとどまらず体力と気力という健康体の維持である
この五つの要素のどれが欠けても
自分がどこから来て何をしどこへ向かうのかという
問いと答えを模索する流れの飽くなき探究が滞ることになる
 
相対を基本とするこの摩擦界では
刻々と出合う二者択一の冒険を通して知識を得
それを咀嚼することで俯瞰による知恵と意識へとつなげていく
目的の全てを支えているのが衣食住に体力と気力の
物的経済を受け持つ五つであり
集いによる補い合いが切磋琢磨による相乗効果と
不慮の事故を支えてくれる合理性と効率性である
 
知識がこの物質的合理性に気付いた時
より大きな利益に甘んじようと利己的に企み
信頼関係による集いを担保に大型の組織へと邁進し
その結果として得たのが
対立と競争心をもたらす縄張りシステムに陥ることであった
 
暴力と財力と知力による損得勘定が人々を誘惑し続け
地球という一つのパイに群がる共食いでしかない
利権の争奪戦が続いてきた
 
もとを正せば個々の生命が生まれながらに持つ
大地のフトコロであり母のオッパイを盗み合うという
貧相な無理心中にほかならない
そろそろ地球丸ごと飲み尽くしているという
知識に依存する自殺行為に気付いて勇気を出し
意識の成長目指して迷い込んだ袋小路を
飛び越えなければならない土壇場に来ているようである
 

僧侶と哲学者 フランソワ・ルベル マウチリガール 新評論

僧侶と哲学者 フランソワ・ルベル マウチリガール 新評論

チベット仏教をめぐる対話

 

元哲学者で今政治評論家と評される父親

彼をリスペクトして育って生物学者で成功しながら

すべてを捨ててチベット仏教に飛び込んだ息子の対談である

この二人の知識量もさることながら

その柔軟な心と意識の高さと心の強さに感銘した

素晴らしい親子関係だと思う

 

数え切れないほどのタグを見ても

この本を全部書き写すことになりそうなくらい

真っ直ぐなやり取りがオモシロイ

ギリシャに始まる西洋哲学の流れが再認識できたこともうれしい

嫌気が差していたダライラマの素が見えたことにも感謝する

この本の内容も多面的で

哲学と宗教論は勿論のこと

物理学における宇宙から量子論認知科学精神分析にまで及び

政治経済から文化芸術とその幅の広い対話に触れることもたのしい

 

この本の企画に添っての会話なのだろうけれども

対話というよりも東西の哲学と宗教と文化文明の

比較と対比に陥り優劣を語る場面が面白くもあり残念でもある

仏教を科学としてとらえながらも

善悪感や上下関係に迷い込む場面も多く

布施に関する思いや常に利他的であれと言う極論にも疑問が湧く

自分を殺すことなく補い合う再分配と対等性による調和であってこその

仏教ではないのだろうかなどと揚げ足を取りたくもなる

 

この私達が住む相対性時空間という摩擦界が
相対なのか絶対なのか・有限なのか無限なのかの捉え方にも異論がある
釈迦の悟りとは絶対なのか?それとも相対的なのか?
果てしなく続く悟りなのか?唯一無二の絶対の境地なのか?
マウチリガールの今の心境はどこにあるのだろうか?

◎全体か部分か・卵か鶏か 170322

◎全体か部分か・卵か鶏か 170322
 
全体である社会という仕組が完璧ならば
社会を構成する部分である一人ひとりも
おのずと完璧になるのか?
それとも
部分が先に悟ることで全体の仕組を
工夫して育て上げることができるのか?
 
この答えはどちらでもない
何故なら
全体と部分の関係はタマネギのようなもので
入れ子状態の無限連鎖であって
全体として見たシステムを
部分として見れば更なる大きな全体があり
部分として見た現象を
全体として見れば更なる小さな部分があり
際限なく連鎖しているのがこの世の姿なのだから
 
先には先が後には後がある
部分同士お互いにより視野を広げ意識を深めて
依存せずに切磋琢磨することで互いに影響し合い
積極的に磨き合い育っていくべきなのだ
幸福感を隅々まで満たそうと思うならば
競争原理などモッテノホカである
 
有限界は構成しているそれぞれの中心に
ゼロという無限性を秘めている
このパラドキシカルな環境であることを
理解していることが幸福追求の前提である
 

◎一成る普遍性と留まる事のない相対性 1703021

◎一成る普遍性と留まる事のない相対性 1703021
 
無い物ねだりのパラダイスという普遍性を求めれば
独裁か全体主義による対立と競争原理が働き
嘘と秘密が蔓延して物欲に走り所有権を主張するために
破壊と戦争のよって共食いしながら奪い合うことにしかならない
何故ならばこの世は有限を建前とする相対性時空間であり
常に変化し続ける流れの中にあるからだ
 
だとすれば安住である筈の絶対環境を目指して
真理を模索すべくこの相対界の摩擦を逆手に取って反面教師とし
自発的に出合いの冒険を選択して
そこでの発見を咀嚼し続けることで浮かび上がる具象的な部分を
深読みして繋ぎ合わせ抽象的な全体をうかがい知るしかない
それこそが大自然の真理を紐解く唯一の
前向きな自在性を示す方向なのだろう
 
未知なる選択をして五分五分の冒険をするには
前提として常に解放された意識と心で判断できる無欲の信念と
自在性を発揮できる必要がある
そのためにこそ人生を掛け自らの想念に注目して紐解き
過去を解き放ち自律へ向かって
物欲の縛りから自由自在を目指して歩まなければならない
 

ゼロを目指す 170321

ゼロを目指す 170321
 
この相対の世に無限であるゼロは存在し得ないけれど
振り子の頂点のように一瞬の解放で
集合意識を垣間見ることができる
だからこそ
そこに住む私たちは誰しもゼロを目的として目指している
 
この旅は永遠にたどり着くことにない冒険でありながら
一成る中心のゼロに
一歩一歩限りなく近づくことに心満たされ喜びとなる
 
しかしこの永遠に不安を感じて近道しようと焦り
物欲に取り憑かれると意識の流れから外れ
依存する滞留に逃げ込んで甘んじてしまう
 
これも無限の中の一歩であることに変わりないけれど
不安恐怖に怯えた苦しい堂々巡りを体験することになる