平等と対等 151109

平等と対等 151109
 
あなたとわたしが選び合って集うと
二人の好みも状態も違うから選ぶ物も違い
この違いを受け入れ視野を拡げることができる一方で
否定して内にこもることも可能だ
 
この二人が違いを受け入れ支配関係を嫌い
民主的な関係を創造しようとした場合
同じグラスを並べてジュースを同じ高さに分け合って
満足する平等感がお互いにわかりやすくて
採用されるかもしれない
 
しかしあなたは喉が渇いていてジュースをもっと欲しくて
私はむせていて飴の方が欲しかったとすれば
ジュースは一口で十分かもしれない
どちらも中途半端で満たされずにいるよりも
お互いの状態をわきまえて程よく満たし合うことの方が
より幸せなのでないだろうか
 
民主主義がお互いの心を過不足なく満たし合う
自らの幸せを求めるものであるならば
部分的な平等よりもより全体的な対等な関係を
目指すことになるのだと思う
 
同じように相手の違いを考慮しない部分感の強い
気ままな自由勝手よりも
俯瞰した視野の広い全体観を併せ持つしなやかな
自在性を好むのではないだろうか
 
更に友愛という情にまみれたプライドよりも
相手を自分の一部とできるドライな仲間とする関係の方が
好ましいだろうし
この世にあり得ない一体感という無味無臭の
100%の平和をナイモノネダリするよりも
活気にあふれ個性と個性をつなげて流れをつくる
調和というダンスを模索する五分五分の冒険を操る方が
充実していて愉しいのでないだろうか
 
民主主義が絶対君主に依存したら
よしんば君主が民を思う善良なものであったとしても
民主と違うものになってしまう
民主であるためにはあくまでも未知なる今を歩もうとする
一人ひとりの自律を自ら育てる自主的な意識を持った
環境でなければならない
それは体験から得る倫理観として個々に蓄積されて行くもので
与えられたり依存するモノであってはならない
そこにはお互いの切磋琢磨で裏打ちされている
現状を愉しもうとする意志が必要となる