本の寺子屋

 

 

 

本の寺子屋が地方を創る 東洋出版

信州しおじり本の寺子屋研究会が
著したという回りくどい本である
本の寺子屋という意味不明さと
江戸期の寺子屋
強く関心を寄せていることもあって
読み出してみると
ボンヤリとした期待とは違う内容であった

書き出しは
ベテランの編集者の愚痴から始まった
売れるものが良い本なのか?
売れる本を書かせるのが編集者の腕なのか?
読ませる相手を意識できなければ
書けないという自分を見失っている詩人とか
いずれにしても本末転倒だろう
何かを描くのは相手の為ではなく
自分の内から溢れる思いを吐き出すためで
その行為が形となり外に見えることで
刺激になって更なる思いが湧き出してくる循環
日々冒険の人生そのままの表現でしかないし
できたものはウンコという過去の産物で
そのウンコは次の出合いを起こす素材でもある
つまり読み手を意識した表現など
今を飛びこして排泄されることもなく
最初から溶けた死に体の筈だ
商品ありきの資本主義が描く
酒無くして語れない虚構世界を舞台にした
酔いどれたい者による洗脳物語なのだろう

表現とは生きるその事であり
前向きに集うことの摩擦から学び
独り相撲の冒険によって成長し
その後ろ姿で集うことなのだ
この本はその事を反面教師として
教えてくれるだろう

確かに知識という虚栄心を
くすぐる企てではあるが
あらゆるとことで試みていることだ
寺子屋と名付けながら
たまたまベテラン編集者という
著名な世界とつながりを持つが故の
社会的成功例であるのだけれど
寺子屋を企画のタイトルに選んだ
主人公の思いとは裏腹の結果ではないのか?
まあ
いずれにしても学べる面白い内容である