この世は何を求め誰によって創られたのか 150703
 
問いは答えと共に更なる問いを生み続ける
命をこの世に現したのが神だとすれば
その神を創ったのは誰なのだろうか・・・
私の先祖は誰かと問いアイデンティティーを求めれば
選民意識や依存先を欲しがる危ないことになる
 
それは今を生き抜く喜びから抜け出し
過去に意識を向けて閉じこもることであり
全体観を忘れ分裂したお互いを餌とする搾取と暴力の
権力社会に逃げ込み縄張り争いに雪崩れ込む自滅行為となる
 
ならば無による自作自演という一人芝居はあり得るだろうか
限りない無限に始めも終わりもないし
過去となる結果も未来となる完成形もない
あるのは無と空というひたすら過程上の《今》のみである
 
この《今》は常に振動しながら連鎖して
和光な波を起こし無限なる真球を描き続けているらしい
この波が過去に振れると三角波が立ち影と光の乱れを起こす
陰は物質という肉体を現し光は意識という命を現す
 
肉体を受け持つ個体と命を受け継ぐ液体が相対することで
時空間という巴を描き乱れることで見通しも効かない
限られた波動の中で凸凹に歪んだ姿形を現す
 
この有限の環境は未知という冒険の場をつくり
依存し合う縄張りで固めた限界を外す
調和と相乗効果を発見する喜びを秘めている
 
それは無が存在を現し静から動を起こし平等から形を化し
無限から部分と全体を入れ子にした有限を創りだし
最初に動いたのは意識というエネルギーが連鎖する波
その波が裏と表となって相対する時空間という
左右のみ反転を繰り返すカガミの世界や
全体という有限に閉じ込められた部分の総意からなる無限球や
ミクロとマクロが映し込み合う
パラドキシカルな連鎖によってアイデンティティーを
解放することに近づけるのでないだろうか