イカの哲学 中沢新一 集英社

イカの哲学 中沢新一 集英社
 
波多野一郎さんの《イカの哲学》という小論文に出合う
波多野さんは1日違いで生き残って神風特攻隊で
4年間に渡るシベリアへの抑留を息抜き
共産党の洗脳にも妥協せずにスタンホード大学院に留学を求め
哲学科でプラグマティズム実用主義)(実存主義)を学ぶ
 
その間に烏賊の冷凍工場でアルバイトしている最中
床に落ちたイカと目が合い生命の実存に共感し一種の悟りを得る
自然の全てを支配しようとするヒューマニズム論を否定するに至る
それ以後すべての生命にはそれなりの意識があり
対等であるという立場をとることになる
 
特権意識を持った時の人間は全体観を放棄し独善的になる
新石器の農耕文明以来支配的になって来たが
それでも産業革命までは殺生に対する謙虚さがあった
特に神道に始まり仏教や儒教やキリシタンなどによる
多様な宗教観を持つニホンの庶民的思想は
全体観を大事にして柔軟であった
 
多くの先住民の神話で狩猟は戦争だと語っているという
普段の暮らしでは生と死が分離されているが
戦争状態においては異常に接近させてしまう
この状況では合理的な判断や論理的な判断に根本的な違いが起る
しかしここで意識の働きが浮かび上がってくる
生命と心を結ぶ無意識の回路が開かれ全体観を取り戻す
 
生き物の個体は他の侵入を異物として免疫抗体反応によって拒むが
生殖の瞬間にだけ細胞膜を開き
隠れていた連続性を起こす
生命が持つこの矛盾に満ちた行動は相対性時空間の本質である
最初の細胞は死ぬが
その死によって新たな非連続を伴って二つの生き物を産みだす
全ての生命は自己と他者を認識する意識を持つ
生命と意識は同じものを指す
複雑に発達して比喩を認識する現代人は
自在に活動するニューロンを手に入れた
あらゆる生命は意識を持つが
現代人の知性のみをDNAの範疇から逃れて自由勝手に動き出した
 
生殖の際に危険を犯してまで解放し連続性を起こす働きは
生死を一つに近づけてしまう
これと同じことが人類のエロティシズム態においても起る
社会のルールや言葉を通じて安定した平常態を壊して
生の中に死の侵入が起る
そこから芸術と宗教が発生した
同時に戦争も人類の深層に植え付けられたと中沢さんは言う
 
しかしここまで掘り下げると《平和》という言葉に違和感を持つ
平和という音には死を思わせる生活の停滞感を感じさせ
人工的に切断された硬さがあると思う
《平和》を自然な環境に翻訳するならば《調和》という
全体観や集合意識と繋がる流れを持った言葉であるべきだろう
 
人間の倫理大系は相対する全体観と部分観によって一人ひとりに起こり
全体観によるものは集合意識と繋がる個々の意識態によって
調和を呼び起こし
又それを認識するための鏡として食物連鎖と切磋琢磨に添う
喧嘩と狩猟を必要とする
 
それに対して部分観による倫理は唯物的人為態によって
力尽くで押し並べた平和を構築し
又その抑圧に対する不安恐怖の空回りによって本来の自分を見失い
暴走を起こし更なる搾取と支配にまい進することになる
この平和と調和には知識に依存する人間故の質的な違いがあるだろう
 
戦争は巨大国家と共に起る視野の狭さからなる管理不能による暴走であり
不安にパニクった利己的要求による物欲が起こす暴力であって
質的に個と個が向き合う狩猟や喧嘩との違いがあるのだと思う
戦争状態を俯瞰すれば兵隊もその国民も
それを裏切っている者達に奉仕させられていることになる
 
それぞれが持つ生と死・個と個の中庸をつくる距離感を
暴力的に侵すことで排除が起こり戦争に発展もするし
自主的に受け入れることで調和という愛が生まれる
 
掟や法は生命現象(エロティシズム)を外圧によって抑えることで
団体生活を安定させようとする
欲による戦争は労働でつくり出した環境を理不尽に破壊してしまうから
この人為的な平常態という平和は戦争を嫌う
しかし不安恐怖に駆られた欲望は尽きることがなく戦争に走ろうとする
 
戦争に駆られる怯え故の生命現象は物欲に助けを求め
調和に喜びを見出す勇気による生命現象は
お互いの心を愛の意識で満たそうとする
この流れは唯物世界の力をはるかに超えて個々が自らに気付き
視野を広げ深い意識育てるのを静かに待つ無限性を持つ
 
狩猟採集の環境は自然界全体の食物連鎖に準じた倫理観を育て
個々が集うことで磨きだした集合意識に従って
過不足なく循環することで乱獲を在り得ないものとしてきた
こうした不安恐怖を呼び込まない自然体を現在なりに取り戻すことで
無益なだけの戦争のない豊かに流れる環境を創ることができるのだろう