◎末法三千年の意味 170724

末法三千年の意味 170724
 
アインシュタインが相対性という答えを見つけ
ボーア達が素粒子理論を打ち出し
部分と全体の関係である不確定性原理を導き
究極の確率論に至り
釈迦の悟りの多くを科学的に解き明かしたが
それでもホトンドの人間は絶対の悟りを得られず
糸が切れた凧のように人間社会は
益々暗黒の煩悩に迷い続けている
 
釈迦は命をかけた冒険で
本当に無限環境を理解したのだろうか?
あるいは
理解しきれないと言うことを納得できたのだろうか?
と疑いたくなるほどである
 
人間が真人に脱皮するのに三千年の悪食を
体験するする必要があるという意味は
この暴力的な冒険なしに真人に成れないということだ
つまり無限を理解するには永遠の理不尽なイジメや戦争や
所有欲に迷う地獄に身を置いてもたどり着けない
この答えこそが悟りなのだろうか?
 
それでも限りなく悟りに近づいていく社会と
その構成員の関係を
創造していることは可能なのだろうか?
個々の悟りがあり得るとしても
全体としての悟りに溺れずに
手段としての社会を維持しながら
悟りを忘却せずに保てるのだろうか?
 
一成る完璧を得た先に意味があるとも思えないし
ありもしない愛という完璧を追い続けることにも
意味を見いだせないし
情なる主観と愛なる客観における
パラドックスのバランス点を乗り越えられない