恥ずかしい我が国という言葉 160918

恥ずかしい我が国という言葉 160918
 
この我が国の「が」は所有を意味するわけで
私の国という独り占めを強調していることになる
しかしそれは思い上がりの傲慢でしょう
この無限とも言える多様に変化し続ける地球を
皆んなで共有してお互いに循環している
全体と部分の成り立ち
 
少なくとも私達とかこの国と云うべきなのだと思う
元来この大地も海も空も誰の所有物でもないはず
誰もいない時に旗を立てて宣言した者
あるいは住み着いて開拓とか開墾している人のものだと
先住権を主張して永久に独占しようとする
そこに軒を借りて母屋を乗っ取り無理やり理由をこじ付けて
奪い取る策略を企てる者も現れる
 
そんなわけで我が国という所有を表す言葉は
一時的に棲み分けをするテリトリーとも少し違い
際限のない縄張り同士の境界線を自分勝手に力尽くで
条約を結ぶことで
別のお隣さんやそれ以外の旅の民である
第三者に対して侵略するなと圧力を掛ける
連合国だとか同盟国となった大組織と個の対立による
多勢に無勢の対等とも言えない不平等な関係を結ばされるか
戰爭で主従の決着を着けることになる
 
弱虫が連なることで独り立ちしている者を脅すと言う
ヤクザ稼業が縄張りを発展させて我が国という
力と依存心で均衡させているだけの王国を作る
この切った張ったの同盟を繰り返すことで占拠した方が
大きく発展して国家となる
 
依存搾取支配の強いものがまるで王になった気で使うのが
「我が国」とか少し遠慮して「我らが国」なのである
 
物欲に特化した資本主義が喜んで使う言葉であって
およそ民主主義とは遠い言葉である