本当の戰爭の話をしよう 伊勢崎賢治 朝日出版

本当の戰爭の話をしよう 伊勢崎賢治 朝日出版
 
高校生と戦争の背景について対話することで
本にしようと企画してから数年を要し
行き着いた所が県立福島高等学校の二年生18名
 
2012年の1月震災と原発事故の後
戰爭の現場で得たナマの体験とそこから得た思いを語り
意見交換する講義が仮設校舎で始まった
 
伊勢崎さんは日本の同盟国アメリカ側に立ち
アメリカが破壊した国をアメリカの要望にそって
作り変えたりテロリストとアメリカが呼ぶ人間たちとの
和解を模索したりの自作自演
 
戦闘がない状態を平和と呼び
悪いことをしたとされる人間を裁くことを正義と呼ぶなら
この両者が必ずしも両立しない現実をつくる当事者を
収入を得る仕事として引き受けてきた=利己的な過干渉
これはあくまでも異国における異邦人=第三者としての立場であり
紛争の当事者たちとは一線を画し
密接に関わることがあっても決定的な壁が存在する
その場の脅威を理解できても共有することはない
 
しかし2011年の東電福島第一原発事故(事件)では
その脅威を日本人として共有することになった
脅威の当事者は逃れるための究極の手段として戰爭を選択させる
平和と正義の関係は一筋縄の思惑で行かなくても
理不尽に巻き込まれる当事者としての住民の被害を
第三者として出来る限り減らしたい
しかしその脅威の形成に民衆自身も主体的に関わっている現状が
発生していたら・・・などの答えのない自問自答が
現場から距離を置くにつれて強くなり
切磋琢磨する仲間が欲しくなった
 
福島の高校生は原子力産業とそれを推進する政治による
構造的暴力の被害者側にいる
彼らは冷静で辛辣な観察にユーモアを添える余裕を持ち合わせていた
5日間述べ20余時間に及ぶ授業のなか
震災と原発メルトダウンという非日常に晒されていた彼らと
国際紛争という日本人にとって非日常の世界を
単に知識と情報の伝達ではなくどこまで共有できるか
その試みは予想以上にスリリングであった
 
その後の国際情勢は悪化の方向に目まぐるしく変化している
その後の福島も政府によって広島長崎と同じように
帰還することへと追いやられ置き去りにされたモルモット状態である
 
何事も現場は現場でリアリティーのある物的な摩擦の関係の
断片を詳しく知り搾取の相手を操ることができる
しかし現場しか見ていない視野の狭さに陥ると
天に唾を吐いている自分が見えない
911のブッシュにしろ後方支援の小泉にしろ
個人的な損得とご都合だけで矛盾点などかえりみず
自分も含めた全体を見過ごし
大損をしていることから目をそらして逃げまわることになる