民主主義 西田亮介編 幻冬舎

民主主義 西田亮介編 幻冬舎
 
高橋源一郎さんの推薦もあって読み始めたが
期待に反して腰砕けで現状に甘んじた堂々巡りの内容であった
まず国家だの政党だの主義だのという縄張りに
執着しながらの民主環境などありえないだろう
 
民主主義の理念を語っている前半は
かなり筋も通っていたように見えたが
それでも対立した主義という狭い視野にサエギラれ
縦社会の依存による縄張りと
個々の自律を目指す対等な集いを混同しているし
自由勝手と自由自在や平等と対等などの違いを
あるいは愛や美という理念についてあやふやであり
平和という無気力な言葉にごまかされているが
調和という前向きな流れの中での繋がりで
あるべきなのでないだろうか
 
又資本主義にしろ共産主義にしろ
物質至上主義に邁進し意識の成長を放り出し
民主主義の名前だけを看板にしたところで
油が水を相容れることはなく建前として騙っているに過ぎない
ソ連も中国もその共産性は偽物であり
官僚支配による君主政治と何らかわるところがない
あえて言えばキューバだけが曲がりなりにも共産主義
追求できたのではないだろうか
 
更には71から132ページの具体的な現象面の話になると
本質を期待しただけに読むに耐えない
まるで民主思想すら忘れたかのように現状に翻弄されだし
あきらめなのか欲得への執着からなのか背骨がとぐろを巻き
シナヤカサと優柔不断を取り違えているようで話にならない
 
 
民主という究極の思想は限りなく広い視野と意識の深さを
求め続ける精神的に常の新鮮な調和の流れを切磋琢磨することで
創造するために集う柔軟な関係を言うのであって
正義や答えを争う主義主張ですら無いはずである
 
金融支配のNWOを唱える現在に至るまで
自然の摂理に従うインディアンの小規模な部落によって
横に繋がる制度に見る全員参加型の運営をしてきた所以外で
自主的に民主性を追求した組織は見当たらない
 
経験から知識を蓄積する大脳を発達させた生命の中で
不安恐怖による依存搾取を卒業して
一人ひとりが心を解放させてお互いを補い合うために集い
自ら視野を広くして全体観を養う前向きな生き方を身に付けて
過去の権利を競うことから卒業し
今を切磋琢磨する喜びの解放感に気付けるまで
民主の関係を目指すことはお預けなのだろう
 
多分この心の解放に気付きを得ることは
完全無条件によるベーシックインカム制度の導入によって
外目線の弊害に気付き嘘と秘密による競争を卒業できることで
ダムの堰が切れたように一人ひとりの民の心を
解放感と自主的情熱で満たせると思えてならないのだが
 
 
今の私の答えをあえて言葉にするならば
民主主義とはこの世という相対性時空間で
限りなく物質性と精神性のバランス点へと向かう行為であり
その生命現象の中で社会現象としてその姿形を成長させながら
表し続ける流れの断面断面のことである