祈りの暴力性 150930

祈りの暴力性 150930
 
一方的に依存するということは
理不尽な暴力にほかならないだろう
利己的な願いを求める祈りなんて
個意識を放棄したも同然で
搾取を悲願とする依存と同じように
情けない話ではないか
 
何のために歪みを持ってまで
相対性時空間を創造するという
行動を起こしたのか
この世の意味を失ってしまう
 
相互通行による相乗効果を目指して
シナヤカに対等にお互いの凸凹故の姿形も手に入れた個性を
補い合いつなぎあわせて行くことで
無限なる混沌とした動きにない淀んだ全体を
流れることによって秩序立てる思いに自主的に参加して
その一部一部をリアルに広げていくことこそ
輪廻する創造そのものなのではないのか
 
部分は全体の一部であると同時に
全体は部分なしに存在の持続も成長もあり得ないという
お互いに対等で自在なループの関係にある
 
無限に前後も上下も始めも終わりもないけれど
強いて無理やり言うならば
意思を持って混沌なる静寂を破り
動き出したのは卵なのではないのか?