知識と意識 150527

知識と意識 150527
 
体験すらない借り物の受け売りを知識という
それは名前とかデーターを知る過去にまつわるものであって
五感を伴う中身を知ることではない
 
体験したからと言ってすぐ意識に意識に昇格する訳でもない
体験を通して今の瞬間に直観を得なければ
意識を自分のモノにしたとはいえない
知識は社会的概念を持つ価値観で伝言したり記録して
学習したり伝授できるが
意識は自分で成り行きと共に冒険する中で
発見してつかみとる以外に納得する術を持たない
 
意識は姿形を持たずその場限りの一品物であり
似ているモノはあっても人間の顔のように常に変化し
ヒトツとして同じものなどなく全てが非なりなのである
 
更にすべての生命が発散する意識は時空を超えて集合し
この世という一成る無限性の別名として
集合意識と呼ばれるモノだと思われる
つまりこの集合意識こそが変化し続ける大自然の真理であり
答えでありバランス点であり中心であり
絶対の神と名付けられるモノである
 
従って直観も悟りもこの集合意識と繋がることで得られるが
無限にある悟りをこの有限社会で丸ごと得ることは
不可能だといえるだろう
 
限りなく変化し続けている中心に近づき創造することを
よりクリヤーにしていく冒険がこの相対性時空間の目的であり
労働であり遊びであり仕事であり不安恐怖であり喜びであると
思われる
 
但し利権追求の政治と絡んで
布教する社会性を持った宗教となった絶対の神は
唯一を主張する故にそれぞれの固有名詞を持って
刈り取った民に依存する力をして分裂せざるをえないし
対立して民衆を不安恐怖と救いという飴で洗脳して巻き込み
心を担保にとって搾取して戦わせ
競争させて破壊と生産を繰返させて
その上前をはねる姿なき姿と成り果てる