循環運動と片流れ運動 150524

循環運動と片流れ運動 150524
 
循環には回転運動と往復運動があるけれども
片流れでは呼吸がなく駄々漏れになるか
過呼吸状態となる
 
メビウスの輪は2次元の平面だからこそ
裏表もなく循環運動を可能にし
無限にまんべんなく浸透し尽くすこともできる
 
しかし3次元の立体環境となって
石をくりぬいたようなクラインの壺においての
見掛けの全てに浸透することなど不可能なのだ
厚みのある構造体に入り込む事もできないし
もっとも肝心な《中心》を体験することがない
 
にも関わらず
部分と全体からなる有機的な人間という生命体において
自主的に選択しながら生きていれば
その肉体の隅々まで意識を届ける事ができそうである
それどころか往復運動によるリンパや血液を通して
エネルギーや意志を持ち込むこともできていそうではないか
 
都市化を必要とせざるを得ない過去と未来に依存することに
執着して冒険という労働である生命活動自体を嫌悪して
片肺でしかない依存搾取を手段とする資本主義を選べば
プロセスである中心や目指す目的を必要とせず
目の前の結果のみを頼りに我が身を食いつぶしていくしか無い
 
どんなに未来に夢をはせても今現在に届くことすら叶わず
無限の相対性時空間を切り取った過去という一部分で
足踏みをしていることに気付くこともできず
閉ざされた輪に乗って最も得な近道と思える直線を走り続け
依存先を食いつぶした時点で突然に足場を無くし
平面的に描いた地球の端から流れ落ちる滝とともに
この世から吐き出されることになるだろう