持って生まれた本質と体験学習 150522

持って生まれた本質と体験学習 150522
 
宇宙の出現そして地球の誕生以来
生命は大自然の成り立ちである相対性時空間の
存在理由とそこにある本質を背負って産まれてきたわけだし
その中でお互いに切磋琢磨しながら成長し
時には欲に目がくらんで墓穴を掘りながら
変化してきたに違いないのである
 
だとすれば個々の命が備えている意識は宇宙の誕生と共に
育まれてきた集合意識とつながっているはずである
 
それと同時に個々の生命体は五感による実体験によって
学習し具体的な本質を再確認して行くことで大自然の真理を
身に付けると同時に集合意識を膨らませていくのだろう
 
しかし人間が新石器の社会経験による全体観を離れて来た
長い間にシンプルすぎる本質性に核心を持てなくなり
住み慣れた競争関係による不安と恐怖を当たり前のものとして
欲と二人連れで目先の過去だけ見詰めながら暮らしてきた
 
そしてこの唯物的環境に傾いた片肺の浅い呼吸による
片流れの末期的状況を迎えて
新たに循環している本質である集合意識に
気付き直さなければならなくなっているようだ
 
この農耕を初めて以来の長い依存搾取社会で
ついに地球全体を飲み込むグロバーリズムの終焉を迎えた人間は
この体験で知った行き止まりの先
消滅するのか
集合意識という本筋に合流し直すかの
大きな意味を持つ選択を迫られている
 
かつて自己に目覚めその利己心から編み出した
唯物思想に閉じこもって以来の
何万年か振りに飛躍する勇気を奮い立たせて
大自然に向かって合流へと冒険するロマンへ旅立てるのか
それとも共食いしてきた過去の唯物環境に依存したまま
己の足を食い潰して立ち消えていくことを選ぶのか
 
いずれにしろ身の回りの全てを食べ尽くして
依存先の無くなった待ったなしの《今》を
否応なく自分で責任をもって
判断せざるを得ないことになるのだ