自然保護とエゴ 150317

自然保護とエゴ 150317
 
この世の問題の全てはその場その場の出合いを選択していく上で
関わる主体と客体の《距離間》にある
主体を中心としてお互い同士の干渉にもならず
無関心の空振りにもならない輪の関係を見つけ出さなければならない
 
中心と見渡せる範囲を見極め
全体として設定することによって自分なりの客観性を導き出し
出来る限りの多様性を見届けながら見守るというスタンスを
創造していく必要がある
何らかの先入観や優先権を持ち込むことを出来る限り避けながら
可愛さ余って憎さ百倍にならないためにも
利己目線のペットや道具としてエコヒイキしてしまわないように
気を配り続けなければならない
 
保護という事自体がすでに部分的な欲に偏った
価値観だと言うことをわきまえ視野を広くした意識のもとに
循環しながら変化していく全体と部分からなった
トーラスな環境を受け入れていくシナヤカサを
学び続けていくしかない
 
ここで言うトーラスとは螺旋と輪を取り合わせて一体とする
循環の形のことであり
それは自然界の食物連鎖を俯瞰した時に見えてくる
相対性時空間の有限的法則でもある
 
例えるならばリンゴの姿で
リンゴを半分に割れば種を持って膨らんだ芯を中心として
無限大を意味する図のような姿で両側にふたつの輪を描き
そのリンゴを上から見た時にその輪を重ねながら
変化し続けている芯を中心として一周りする流れである
 
あるいは一人の人間を全体として見た時に
その構成材である首や手足
又は臓器や目鼻による五感を部分として
更にはこの臓器や五感が細胞を部分として
その細胞も分子や原子や素粒子を部分として
お互い同士が信頼の関係を持って成り立っているわけですし
一人の人間を部分と見れば社会とか自然界という全体を
見ていく中で同じ姿形と出合うことになるはずです
 
それはあたかも公転と自転運動にある地球を自転しながら巡る
月の軌跡を見るようでもあるでしょう
 
つまり自然保護という立場の中にも同じ姿は一つとしてなく
様々な多様な関係こそが自然なのであって
その違いをベースとして対立し合うことなく成長し合うためには
お互いを尊重しながらも議論を重ねて切磋琢磨することで
シナヤカな自分とお互いの関係を創り続けていくことなのでしょう