実体としての神を思い描いてみる 150124

実体としての神を思い描いてみる 150124
 
私達に見える宇宙の向う側にあるには何か?
この宇宙を創ったのは誰か?
有限界に対する無限とは?
という「なぞ」が永遠に続くだろう
 
そこで人間は「神仏」について考え続けてきた
何度も踊り場にたどり着いては
新たな思いを巡らせながら今に至っている
ここで今度こそと思う私なりの
その中間報告を物語ってみたいと思う
 
マヅ
括ることのできない「無限」を無理やり紐解いてみよう
無限といえどもここでは
私達の心が届く範囲に在るモノでなければならない
何故ならば糸の切れた凧のように考えも及ばなくなるからだ
 
そこで全ての中心であろう心の中を覗いてみたいと思う
この世で中心こそがバランス点であり無限であり零点である
私達の現実であろうこの世を「相対性時空間」と位置づける
つまり自分の存在を確認できる唯一の鏡としての相手が
自分と対になっているということである
このことによって得た五感でこの世の実体を確認可能にする
摩擦界を得ているのだと言えるだろう
 
すると「この世」の相手は「あの世」で間違いないことになる
ここであらためてこの世を定義するならば
有限界であり相対であり実体界であり生死があり光と影があり
摩擦があり五分五分でありゼロを認識し時空間と呼ばれている
「あの世」については実体もつかめず定義できないから
言い伝えによるところを少しだけ拾いだしてみよう
多分無眼界であり霊体であり摩擦がなく自在だが実体がなく
・・・
 
そんな中でこの世を「意識界」と見定めれば
あの世は「「無意識」と成るだろうか
しかしそれでは元の木阿弥に陥り堂々巡りの混沌なる無限に
舞い戻ってしまうことになる
ならばこの世の全ての意識がヒトツにまとまった集合意識体を
創造してみてはどうだろうか
 
コレならば私という有限の「個意識」と対をなす
全てによる無限の「集合意識」といえるのでないだろうか
全能であり一成る全ての神も「集合意識体」と
呼び替えることができるように思えてくるではないか
 
集合意識体は常であり変化し続ける絶対であり
私達にとって唯一の成長し続ける真理であると思えてくる
ここで今の答を一言でいえば「集合意識体」こそが神かもしれない
姿が無く無欲に全てを抱いてアルガママを見守れる愛すべきモノは
「集合意識体」であると