無宗教組織論  180912

無宗教組織論  180912
 
現象を善悪として追求する
偶像神は永久にペンディング
求めるは
調和と言う大自然の法則のみ
 
全ては対等で自在であり
多様な有限界を通して
極限である無限を解き明かす存在
 
これがこの世の目的だろうと
今を選択するあなたと私の出合い
冒険と発見を愉しみとして
苦労している自分がいます
 

男社会から母性性社会へ 180911

男社会から母性性社会へ 180911
 
競争社会から切磋琢磨へ
権利社会から共生関係へ
奪う社会から育む環境へ
 
主観的な隠れ奴隷制度による経済を
中心に据えて生産を必要以上に増やし
幸福追求の手段であるべき経済を
目的と勘違いして進む方向を見失い
パニクッた金融グローバル資本主義
自分の陰に追い立てられて
自滅への膨張を加速して来た
 
その結果奴隷に代わる客観性に優れた
人工知能とロボットを手にした社会は
嘘も秘密も必要としなくなり
信頼関係で切磋琢磨する環境を生み出した
 
今後は必要充分で過不足のない
生きるための手段である衣食住が
全ての人間に保証される
社会的価値観から個人的価値観に
入れ替わろうとしている
共通認識の情報である
貨幣の存在意義も無くなることだろう
 
こうした変化の起爆材として有効なのが
無条件のベーシックインカムなのである

B I の先に来るもの 180907

B I の先に来るもの 180907
 
一律無条件というベーシックインカムの先に来るものは
すべての個性それぞれんの選択が必要とする
多様な環境を過不足なく充分に満たす調和の関係である
そこには比較も対立も競争もない全てが
前向きに無駄なく軽やかに満ちているのだ
 
生産は常に飽和以上でもなく以下でもない
トータルでバランスされた状態を保つ必要がある
それを可能にするのは嘘のない超人工知能のみである
その上でこそ競争原理の枷を外し感情を乗り越えた
個と集合による人間の無限の意識をつなげて
発揮できるのである
 

死に向かう中央集権 180907

死に向かう中央集権 180907
 
貿易経済は循環する大地の恵みを歪め
輸出先を疲弊させ輸入先を肥満化させて
共倒れへと持ち込む
同じように文化も金銭という社会的価値に染められ
個性のないモノ化によって腐る
 
薬となる屎尿処理もエネルギーも多様な動物も植物も鉱物も
人間すらも強欲の暴力に引き寄せられて毒と化す
物欲が作り出した資本主義の行き着くところは
浅はかな中央集権の歪みによる消滅である
 
無限という多様性へと向かうのが唯一自然界の法則である
 
ベストな環境はわずかなインフレ状態であり
それを保つためにわずかなデフレを
加速手段とする螺旋構造を必要とするのだ

生産管理から自己管理へ 180906

生産管理から自己管理へ 180906
 
物から意識へ
手段から目的へ
古代ギリシア人は官僚体制において
奴隷を管理する事で依存し
危うげな民主主義を可能にしていた
 
その後の世界も民主主義を建前としながら
生産を管理することに命を費やしてきた
しかし現代人は嘘も秘密もない
A I と言う人工頭脳を得ることで
生産と生産管理を
丸ごと委ねることに成功したらしい
 
人間はついに他者を管理する
不安恐怖から解放され
自己管理に集中して自律を目指すことになる
個々が秘める人生の目的を
衣食住と言う手段の確保に
ほとんど費やすことなく追求できるのだ
 
真理という美を求めて実践を目指し
お互いに腹を割って切磋琢磨し
個と全体の調和を目指して
集合意識と繋がることができる
 
ここで問題となるのは
反面教師を必要とせずに
目的を見失うことなく停滞もせずに
みんなで輪になって成長していけるのか?
相対する相手をどこに求めれば良いのか?
その相手は切磋琢磨する仲間で充分なのか?
 
 

全能なる唯一神の矛盾 180830

全能なる唯一神の矛盾 180830
 
絶対なる神は一人の男だという
全能であるならば当然男でも女でも凸凹でもなく
一成る無限の存在でなければならないだろう
 
全知全能でありながら清濁合わせ飲むこと無く
善悪を説く神は
何故わざわざ不完全で限りある相対界を
何を目的としてつくる必要があったのだろうか?
更には十戎と言う牢獄にも等しい法律を示し
それにも関わらず堕落した人間を洪水によって滅ぼし
ノア一家による同じ過ちを人類に繰り返させたのは
何故なのか?
 
全知全能でありながらその分身たる人間が守れない法を与え
知識にすがりモノに依存し
墜落を繰り返させている目的は何か?
怒り悲しみ自らの感情に振り回される凸凹な五体を持ち
裏表のある言語を操る神のどこに絶対性があるのか?
 
これほどに不完全な内容にも関わらず
地球上の人間の多くを聖書によって洗脳できるのだから
これこそ完璧な神の証明だと言えるのかもしれないし
それとも神の創った人間がそれ以上に愚かなのかもしれない
 
こうしてみると
四の五の言わずに神の愛を丸ごと信じろと言うことの
意味だけは理解できるような気がしてくる
 

最後の悟りは永遠の喜びだ 180827

最後の悟りは永遠の喜びだ 180827
 
多くの菩薩が言うけれど
そこに至るまでは永遠とも思える苦しみだ
半々ではなく生きながらえる原動力として
喜びよりも一歩先んじているのが苦しみだ
この苦しみがあるからこそ
無限と有限の間にゼロと言う橋が架かる
それでも
この一歩が永遠とも思えてしまうのが
利己心と競争心と言う自分の分身に追われる暴力で
満たされているこの世であることにかわりない
 
それでも冒険さえ続けていれば
次の発見があるかもしれないと言う
垣間見る幻に引きづられて善光寺参り