王道 170509

王道 170509
 
あなたは裸の王様になることを選びますか?
それとも自らに恥じることのない道を歩むか
あるいは権力に媚びて傀儡に溺れ
後ろ向きに依存して姑息に生き延びるか
前を向いて切磋琢磨する冒険をみんなで愉しむか
 
ここまで分析できれば考えるまでもなく
前向きに進むことで心身ともに
多様な好奇心で満たし
一人ひとりの幸福をそれぞれに補い合いながら
紡いでいく王道を選ぶしかないはず

出合いを選択するという解 170508

出合いを選択するという解 170508
 
全体観という方向性と
より部分であるディテールを絞り込む線が
交わる所にその場の解が発生する
 
俯瞰して全体観に偏ればドットが荒くなり
部分に執着すればするほど前後左右が見えなくなり
どちらに転んでも方向性を見失うか
交点を見失って迷子になる
 
全体観と部分感の両方を
同時にとらえられなければ正解を得ることはできない
この不可能を可能にするにはそれぞれの現場を
体験している部分と部分が自主的に集い
切磋琢磨することで相乗効果を得て
調和というバランス点である中心に近づき
無限を垣間見るしかない
 
人間を含む生命が産まれることの意味は
この解を積み重ねて無限という抽象的な全体を
具現化して見せることである
 

旅の恥 170508

旅の恥 170508

小さな旅と大きな旅
今を選択する出合の冒険
日々の家事をこなす旅路

循環する全体を見据えた行動の後処理をする
不要となったゴミや老廃物や大小便を
その場の小宇宙で螺旋を描きながら
循環する軌道に乗せる

廃品のすべて未処理のまま川に流すのも
無責任に海に捨てて拡散するのも
分業で集中管理に依存してしまう問題も同じ

大事なことは地産地消を通して全体を模索し
視野を広げ意識を具体的に目覚めさせて行く
大小が入れ子になって無限に広がる中で
大きな組織が小さな組織を
緩やかにバックアップすることで
抽象性の高い全体観を盛り込んだ意識を育て
具体的な現場を創造していく
こうした小に内包する大の連鎖の中で
より小さいモノを育み
より大きなモノを支える関係が大自然の法則

旅の恥をかき捨てて関係を絶たずに
お互いの納得を付けながら旅立つ勇気で
入れ子を限りなく循環させている宇宙と
共鳴する喜びを得ることが
小にとっても大にとっても必要なのだ

依存か補完か? 170507

依存か補完か? 170507
 
相対性時空間で出合う共生と対立
更に共生関係にも二通り
この二つは混在しており
観察者の存在で
どちらかが五分五分で現れる
それは
後向きか前向きか
ネガティブかポジティブか
悲観的か楽観的か
受動か能動か
盗み合うことか補い合うことか
これらに
主観性と客観性が絡むあなたと私は
その場その場で多様な関係を選んで
重力場と無重力の間を流れている
 

ロシア革命史入門 広瀬隆 インターナショナル新書

ロシア革命史入門 広瀬隆 インターナショナル新書

 

この革命についてはかなりの間違いを

吹き込まれて来たことをこの本で知ることができた

ソ連中国共産党マルクスが説いた物的平等を目指しことなく

独裁の頭の挿げ替えであったことは理解していたが

レーニンが革命前と後で豹変してしまった過程を見逃していた

 

レーニンは革命後の厳しい情勢の中で
訴えて支持されてきた農民や庶民の貧困からの脱却と戦争の即停戦を
権力の獲得と同時にその権力を守るために本末転倒に走り出す

手のひらをひるがえしたように農民のデモや

労働者のストライキへの弾圧と逆らう者の粛清へと変貌してしまう


それを引き継いだスターリンは裏で欧米と繋がりながら

仲間の粛清を徹底し私利私欲に精出すのである

もはや共産主義でも市民の参加による自主的な管理による政治でもなく

単なる秘密と嘘と暴力による独裁体制でしか無い

 

またユダヤ資本の関与を許すことで歪は大きくなり

バグー油田に関する利権争いについても理解していなかったことで

ソビエトの問題を歪めて認識してきたようだ

 

兎も角民衆が未熟で精神的に目覚めておらず機が熟していなかった
意識が高まることで利権という余剰物に対する

所有システムの問題点に気付く事から始まる共有システムと

個々の対等性と自由自在性をお互いに認め合う意識に到達する事から

始まらなければ自主的な管理による共産も共有も

過不足のない分配も不可能なのである

 

◎条件付けの矛盾 170504

◎条件付けの矛盾 170504
 
法律というものは悪魔の出現を想定して
必要悪であることを前提につくる約束事であるか
あるいは悪魔自体が利己的利益を目論んで
他をだましたり他に押し付ける契約ごとである
 
悪魔の存在は相対性社会の必然である
本来ならば成長を目指すためにあらゆる選択の可能性を
つぶさずに集いに参加する一人ひとりの
対等で自在な自主性を大切にする必要があり
物理的な暴力によって対等な相手を
戒めることの矛盾を悟るべきであるし
その力を育てるためにお互いが限りない
可能性を持ち寄って切磋琢磨することで
お互いに成長する意識によって自らを解決することが
優先されるべきである
 
その上でこの外交という切磋琢磨を拒否して
暴力に頼る者に対しては
何らかの条件付けされた垣根によって身を守りながら
テリトリーをつくらなければならないだろう
 
所詮相対関係による成長には解放と束縛という
パラドックスの必要悪が無くてはならないものなのである
それでも切磋琢磨を省いてはならないのである