清濁両極の答えはどこ? 170418

清濁両極の答えはどこ? 170418
 
ふと巷の政治に魅入られてしまうと
濁の折り返し地点がどこにあるのかと不安に陥る
一成る清に答えが無いのは許せるけれど
有限だろうはずの濁の底なしには疲れるわ
 
併せ呑むには何らかの納得が必要なのに
濁の無限性についていくのは容易なことでない
 
濁のパラドックスに溺れている人間自体が
パニクッてその暗闇の不安に自分を持て余しているわけだから
そこに踏み込めば出口が見えなくなるのも
当然といえば当然なのだけれどね
 
こんな時に今更祈るべき相手もいないし
諦めて妥協することもできないし
 
ひたすら自分の環境を俯瞰して
心を沈めるしか無いことぐらいわかっているさ
それにしてもふと疲れを感じて自分の足下を振り返ると
そのおぞましさにゲロを吐きそうになる
 
この世の救世主は自己主張もせずに淡々と
全てを清浄な無機物に戻している菌類なのかもしれないと
彼らこそが清濁併せ呑んでいる存在にも見えてくるよね
 

うんこはごちそう 井沢正名 農文協

うんこはごちそう 井沢正名 農文協

 

食と事とうんこの循環で永遠の生命が成り立っている
哲学的で科学的でもある静かで勇ましい冒険物語である

植物は無生物の無機物を根から食べて
葉の光合成炭酸ガスを吸い込んで
うんことして酸素を吐き出し枯れ枝を残す


草食動物は植物を食べて酸素を吸い込み
うんこと二酸化炭素を吐き出し死骸を残す

肉食動物は草食動物を食べる一方で共食いをし
うんこと二酸化炭素を吐き出し死骸を残す


キノコなどの菌類は植物や草食動物や肉食動物と
そのうんこと死骸などのすべてを食べて
無機物をうんことして残す

 

この絵本に一つ書き足してもらいたいと思うのは

うんこは食べた物の未消化のカスだけではなく
それ以上に役割を果たした細胞の死骸を
吐き出している事実である

 

言語の矛盾 170417

言語の矛盾 170417
 
部分の羅列でしか無い言語という道具は
物事を説明すればするほど矛盾をはらみ
混沌へと流れ出してしまう
 
むしろ省略によって整理された空白の
柔軟さによって真意に近く伝えることが可能になる
全てを一瞬で伝えられるのは
テレパシーという集合意識とつながる
一体感のみだろう
 
人間は道具を使うことで狭めてきた
五感の機能を取り戻さないと
言語をウソを付くための道具として
部分感ばかりを強くし依存心に溺れ
心を解放できず全体観のない孤立した
視野の狭い利己的な存在へと
益々墜落して行くことになる
 

◎不完全が故の完全 170417

◎不完全が故の完全 170417
 
円は二等辺三角形を無限に集めてできる形
球は震える水滴のように
無限に近く細かいモノが無限に近く集まった形
 
もしも完璧な球体をつくれたとすれば
凸凹がなくなって存在すら確認できないだろう
不完全だから重さを持つ姿形があり摩擦による個性を持ち
限りなく多様性を発揮して集い球体へと向かう
 
完璧な球体は有限性を超えて向き合う相手のない
一つになろうとするから自分の重さを支えられずに
その手前で暴力的に自爆してしまう
これがブラックホールの現象
 
不完全が故に流れ続けるシナヤカな循環こそが
完璧を維持する唯一のシステム
一も二も無いのに等しく三次元でのみ形と重さを現す
あなたも私もその集合体も不完全が故の完璧な流れに向かう姿
このパラドキシカルな関係を昔の人は清濁併せ呑むと言い
今の人は調和を目指すと言う
 
この宇宙自体が無限に変化し続ける多様な完璧なのであって
一つの完璧な答えなどありえない
何故なら自分の存在を確かめる相手がいないからね
そこには目的があったとしても手段がないからね
 

個と組織の関係 170416

個と組織の関係 170416
 
個体が完全でない限り
相対という関係性を持った組織を必要とする
こうして生まれたこの世という相対性時空間における
個と個の周辺は永遠の入れ子状態となり
手段として組織化され目的を持った個を優先することで
永久的な循環性が成立つ
 
ここで歪んでいるがゆえに姿形を持った個が
組織を優先して依存しだすと
後向きの負の関係を作り出して自然界の循環が破られ
力尽くの関係となって暴力性が搾取と支配を支える形の
目的を見失った不幸が成立する
 
この不幸は共食い状態に陥ることを意味し
調和を損ない片肺状態の自然消滅へと転げ落ちて行くことになる
つまり結果である過去に依存して権利を奪い合う競争社会で
嘘と秘密にまみれることになる
どこかで強欲という負のスパイラルに気付いて
循環する調和を目指し転落から抜け出さない限り
奪い取ってきた生活圏を食い尽くして自爆するしかないのだ
 
 

◎人生における権利と責任 170416

◎人生における権利と責任 170416
 
この世に産まれ出ると言うことには
今を生き続ける権利と同時に
生きた過去を大地に戻すと言う
責任を果たすための義務を伴うのである
 
この権利とは個々の人生をまっとうするための
衣食住に関する経費としての
必要十分で過不足のないエネルギー補給であり
その環境である
 
又責任とは権利として刻々と体験することで
作り出した結果としての排泄物の全てを
自然界の状態に戻すことである
 
権利として借りたものを役立つ万能な形にして
未来へ返すことであり
負の遺産として残してはならない
従って自分で自然な状態に戻せない不自然なモノを
作り出してはならないのである
 
これは自分が関わった憎しみや嫉妬や呪いなどの
エネルギーをも含み
少なくともあらゆる意味で死ぬ前に
浄化して行くことが義務なのである
人生で使ったエネルギーを咀嚼された意識として
集合意識へ返す事が必要ななのである
 
人生をまっとうするということは
日々刻々自分で責任を持って出合いの選択を続けると同時に
その冒険を前向きにとらえながら俯瞰して
そこで得た知識を咀嚼し自分の視野で全体を見極め
過去となる排泄物を自然な状態の素材に戻し
未来へとつながる未知なるプロセスを
切り開いて行くことである
 
これを怠ると過去の摩擦に依存することになり
これは限りなく入れ子状態になっている大自然の中での
経験と冒険の連続であり
これを前向きな調和によって愉しむことも
過去に依存する暴力によって苦しむことも
それぞれの人生が受け持つ選択肢の内なのである
 
こうしてそれぞれの人生がどんな脇道を選ぼうが
最終的に輪廻転生を経て目指す目的は
すべてを癒す調和の関係を理解することであり
悟りという大自然の真理の解明なのだろう
それは縁起という関係で空という中庸を
理解することなのかもしれない
 
最後に権利という言葉は独善的で語弊があるので
大自然から付帯されてものと考えるべきなのだとしたい
いずれにしても人生は永遠のロマンである