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村上春樹や坂本龍一や田中康夫や池田満寿夫などなど
ブランドや横文字の多い
ファッショナブルでエグゼクティブな社会の
飽き飽きしながらも抜けるに抜けられない上澄みを描き
読者やファンは成り上がり階級の片鱗をキラキラ味わう
このどこにいても満たされることのない
乾いた上澄みこそが競争原理による格差社会の
現実なのだろう
それにしてもキラキラしたルアーと疑似餌の中を
ハラハラと泳ぎ回り続けなければならないなんて
バカバカしくて付き合いきれない
と言って流れから降りてしまえば
村八分にあって干されてしまう不安恐怖
利権による依存と搾取の圧力に翻弄される
ピエロかペットか奴隷か家畜か
上を見ても下を見ても延々と搾取の関係が続く
そんな中をカンダタは仲間を蹴落としながら
細い蜘蛛の糸にすがって生き延びようと利己的にもがく
それでもこうした中身のない作品がマスコミによって
もてはやされて作家はのぼせ上がり庶民を貪る
こんな自ら湧き出す喜びもなくお互いの利己による外圧で
怠惰になり鞭打たれる下克上の物語は
源氏物語に始まり未だに学ぶこともなく続いている
おお方の文化とは浅はかなものである
飛躍と咀嚼 170411
飛躍と咀嚼 170411
大きな環境の変化は強い緊張を要求し
ロマンという喜びをもたらすけれど
それも日常化することで階段から踊り場や
山谷から平野へと馴染んでいく
この気の緩みが思わぬトラブルに落ち込む
小さな緊張を作りながら
成長への咀嚼の場をつくり次の大きな冒険へと
離陸していくのが人生なのだろう
人間は知識に依存して
咀嚼を怠り大きすぎる余剰生産物を扱いかねて
ダブつかせてしまうことで
成長をおろそかに過去や眼下を覗き込んでしまい
縄張りという不安恐怖の巣を抱え込むことで
踊り場に逃げ込み人生を無駄に
溜め込んでしまう選択をするようになったのだろう
切磋琢磨の循環を怠った踊り場は腐敗を強めて
別の還元へと流れ出すことになるのだろう
トータルな人生 170410
トータルな人生 170410
見晴らしが良く時間割に縛られない暮し方には
嘘や秘密の入り込む隙間ができない
毎日を愉しく暮らそうと思えば隣を巻き込む必要がある
お互いの凸凹を補い合うことで協力し合い
隙間を緩やかにつなぎ全体を支える基礎をネットすることで
相乗効果という手に手を取った個性で起こる飛躍を
愉しむことができる
切れ切れの衝立で仕切られた隣同士の秘密の中の暮しは
縦社会のよる一方通行の都合で歪められた情報提供による
片側しか見えない怪しげな関係を作り上げて
信頼の代わりにお互いを追い掛け合い続ける競争原理で
嘘と秘密による争いの絶えない縄張り社会をデッチアゲてしまう
分担に分業に分析にディテールにと集中し
切れた間をつなぐメンテナンスをバカにして手を抜いてしまうと
総合的な連帯関係のシナヤカサを欠き
循環するエネルギー補給を可能にするトータルとしての
無駄を無駄としない流れからはみ出してしまう
中心とつながる無限観を無視して有限的な摩擦界に固執すると
無い物ねだりの依存心にすがり
ニュートン力学の落とし穴の中という
井の中の蛙から出られなくなってしまう
◎人生の意味 170410
◎人生の意味 170410
生きるということは進むことなのかさまようことなのか
進むのだとすれば何を目指すのか
大自然の流れには真理と呼ばれる意志があるのだろうか
充てがわれた法則に流されているだけなのだろうか
人生が《青い鳥》のように真理を探す旅だとすれば
混沌で一成る存在を解き明かすことを目的とすることになる
そこには存在の意味が生まれる
さまようのだとすれば意味などなく
ひたすら生命維持のためだけに迷い歩くことになる
そこには混沌があるだけなのか
あるいはアテガイブチの神と呼ばれている飼い主がいるのか
この飼い主は何を求めて
私達を家畜やペットや奴隷や役人とする必要があるのか
求めるものがあるということは私達と同じように
不完全な存在だと言うことになる
私たちは彼らの道具や手段として何を強いられるのか
単に物的な生産の向上なのか
それとも解決するべき何かがあるのだろうか
結局は私達の自主性によって真理の発見を目指すのか
強制された仕事として日々をこなしていくことなのか
人生を充てがわれた苦しい仕事とするのか
自主的な選択による喜びとするかの違いに過ぎないようでもある
それにしても一人ひとりによって刻々と途切れることのない
選択を誰がするのかが問題であり
自主性によってのみ勇気による未知なる冒険という
飛躍を選ぶことができるのでないだろうか